英雄たちの選択「大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ 誤算に消えた西軍必勝」

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この番組のまとめ

歴史ファンの間で今も根強い人気を誇る戦国武将大谷吉継です。 石田三成と共に打倒 徳川家康の兵を挙げて全国の大名を巻き込んだ日本史上最大の合戦大谷吉継 究極の選択に迫ってまいります。 大谷吉継の城があったといわれる…敦賀城の発掘に尽力した一人だ。 そんな吉継を病床に見舞ったのは秀吉と政権ナンバーツーの実力者 徳川家康。

吉継のような… まあ三成も同じだと思いますけど豊臣政権に大きな危機が訪れる。 慶長5年初め五大老の一人 上杉景勝が豊臣政権に対し謀反の疑いありとの知らせがもたらされたのだ。 豊臣の天下を維持していくためには天下の仕置きに不平を抱く武将たちに にらみの利く家康殿の実力が必要なのだ…。 五大老の前田をはじめ加藤清正や福島正則など武断派と呼ばれる豊臣恩顧の武将たちは実力者である家康を支持している。 豊臣政権に不満を持つ者がいても家康が政権を支える限り豊臣の天下は安泰なのだ。

やっぱり 圧倒的な兵力差が三成 対 家康ではあるんだけれども西国大名たちをインクルードすれば結構 いい線いけるんじゃないかというふうに大谷なら考えると思う。 「これまで不治の病のため奉公勤まり難く官禄を返上しようとしてきた者がなぜ 吉継は挙兵する事を決断したのか?戦国史を研究する土山公仁さんはこう捉えている。 まあ 少しは 石田三成が嫌いな武将もいるけれども…つまり 秀頼が家康討伐の命を下せば吉継は 何よりもまず五大老の残りの2人毛利輝元 宇喜多秀家を味方につける事を考える。

そうすると秀頼の命令が出てですね…この場合は だから 徳川家康に圧倒的な勝者にさせない事が一番大事な事で誰かを勝たせるとか徳川に勝とうっていう事が目的ではなかったと思うんですね。 なぜかというと三成や吉継たちは他社に買収されちゃった場合彼らの居場所はないんですよ。 しかし 9月14日西軍の戦略に大きな齟齬が生じた。 それを東軍に攻めかけらせてそれを更に西軍側が包囲するという。 だが 西軍は吉継が設けた防御施設のおかげか戦いを優位に進めていたという。 松尾山の小早川勢が寝返り吉継の陣に襲いかかった。