スタジオパークからこんにちは 明日へ つなげよう「渡辺謙 僕に、できること」

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この番組のまとめ

東日本大震災発生直後から東北の支援活動を続けてこられました。 東日本大震災の被災地を再び訪れました。 この町の基幹産業と言えば震災前、経済の8割を占めていた水産業です。 震災以降ずっと目標にしてたところに近づいてきたかなというような状態ではあるんですけど。 実際に気仙沼で検査をして放射能が出たとか、そういう事は一度もないわけですよ。 でも、それはある種気仙沼の安心マークなんだというふうに考えればそれはもう決して気仙沼の魚が安心であるという事の保証的なものとして検査を続けていく。

例えば冷凍する施設もない保管する倉庫もない水揚げしたものは、生で売るしかないというとこから始まって今は少しずつ、こういう冷凍する設備、保管する設備また加工する設備もだんだん充実してきてこれからが本当の復興なんだなと思ってます。 最初に出会ったのは震災1年目でした。 被災地からの生産物の出荷は市民を勇気づけると思うから。 ここが、うちにとっては第二の正念場みたいなところでして、震災の時もすごい正念場だったんですけどこう落ちかかった時もこれはヤバイぞと。

次に向かったのは町全体が壊滅的な被害を受けた岩手・陸前高田です。 支援物資を手渡した時里歩ちゃんは、まだお母さんのおなかの中にいました。 その後、里歩ちゃんに度々会いに来て成長を見つめてきました。 里歩ちゃんは幼稚園ですか?保育園。 保育園ですか?来年か小学校。 5歳になった里歩ちゃんと小学校1年生のお兄ちゃん。 開店から3年次第に常連客も増えてきた時津波が店をのみ込みました。 里歩ちゃんのお母さんから頑張っている先輩がいると紹介されたのです。

復興に時間を要する中で課題もさまざま出ている陸前高田。 福島県葛尾村にやって来ました。 原発事故で1500人の住民全員が村外への避難を強いられました。 国はまさに今日6月12日避難指示を解除する事にしました。 佐久間哲次さん、40歳。 その佐久間さんと最初に会ったのは、震災2年目。 実は、若い世代の5割以上は避難指示が解除される前に既に葛尾を離れる決断をしていました。 葛尾から車で50分の場所に村が土地を買い106戸の戸建て住宅を造っていました。

飲料水の確保にも、めどが立ち1年以内に村に戻る人は150人から300人と予想されています。 村に戻って人々が暮らすには医療機関や商業施設も必要です。 私は仮設住宅で大衆食堂の営業を再開したおねえちゃんは結婚したんだよね。 自分の店を一生かけて一代で新しい店舗をつくるわけですからつくったわりにはやっぱりみんなで一緒に頑張って。 今の仮設で営業を再開した当時売り上げは村にいた時と比べ3割に落ち込みました。 避難指示が解除されるという大きな転換期。