NHKアーカイブス「ビートルズが来た日~来日50年 残したものは〜」

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この番組のまとめ

警官など 警備に投入されたのは1回の公演だけでも 2,000人その熱狂は社会現象となりましたみんな ビートルズに向かって手を伸ばしました。 宇崎さんの そもそものビートルズの出会いというのはイギリスといえばクリフ・リチャードの流れとは全然違うビート ハーモニ− それから 歌声 声。 では 50年前のビートルズ来日公演その熱狂ぶりを当時の貴重な映像でまとめておりますのでご覧下さい。

ついに やって来た世界的ロックバンドの姿に日本中が沸き上がりました日本武道館での来日公演を体験した著名人たちが当時の興奮を語っています。 それから ジョージ・ハリスンがもらった日本のカメラだと思うんですが3つも4つも持ってましてねで 一生懸命 窓から外を撮ってたりなんかしてやっぱり 背が すごく小さくて顔が ものすごく小さくてミュージシャンもいます最初は 僕はやかましいグループだという事でクラシックギターをやってるタイプの人間でしたのでそれを 東洋の僕らがやれっていうのも無理なんですけど 本当は。

日本中が大騒動となったビートルズの来日。 ここ 日本武道館では毎年 およそ150回のロックコンサートが行われます。 今や 武道だけではなくロックの殿堂としても知られるようになりましたがその発端は5万人を熱狂させた 30年前のザ・ビートルズの来日公演でした。 競馬から浪曲まで日本の大衆文化を幅広く論じてきた 大月隆寛さんは一つの社会現象としてビートルズ来日騒動に関心を抱いています。 今から30年前 ここでビートルズが来日公演をしました。

来日公演直後に発売された…幻の名書といわれていたこの本が今年初め30年ぶりに 完全復刻されました5日間 103時間の間の出来事が実に克明に報告されています。 やがて 日本中を巻き込んでいく事になるこのビートルズの来日公演はどのようにして決定されたのか。 コンサート会場はビートルズ側の要求に従い1万人以上を収容できる日本武道館が選ばれました。 武道館館長だった 正力松太郎が異議を唱えたのですペートルスなどというえたいの知れない外国人に神聖なる武道館を使わせる事はできない。

興奮するファンの行動をいかに抑えるかは各国の警備当局にとって大きな課題だったのです。 警視庁は 熱狂するファンの心理を読み解くため心理学者までも動員しました。 幹部連中と一緒に武道館周辺 見に行って確かね 夕方にさしかかってたと思うんだけどそのファンらしい少女が2~3人ねウロウロしてる事あった訳ですよ。 その時のその熱狂ファンの心理状態をね直接 聞いたというのはね私にとって この警備はやっぱり容易じゃないなと。

60年安保 日韓闘争 そして後の70年の安保闘争へ向かう流れの中で不特定多数の若い人たちが集まってしまう事へのあるいかがわしさある恐怖感というものは警察なり国家の側にあった事は間違いないと思います。 ちょうど 隣の男の人が知らない人がいまして船用の双眼鏡持ってましたのでそれで お借りしまして私は何も持ってかなかったんで見て… 大きく見えるんですよね。

三島由紀夫が評した当時の観客の女の子たちのこの観察というのは内面 感情 身体肉体の在り方といったものが生な形で 公の場で しかも大量にさらされる事になってしまった。 60年代後半から70年代にかけて高度経済成長という現実は豊かさの中で我々の それまであったさまざまな箍というものを緩めて 外していきました。 「イエスタデイ」のヒットなど 音楽的にはアイドルからの脱皮を模索しながらも過密な日程の中で予定どおりの曲目を 時間どおり演奏しなければなりませんでした。

彼らは同時に その感性と欲求を商品にしていく巨大な商業システムが立ち上がっていく きっかけにもなりました商品としての音楽はコンサートからレコードに その比重を移し始めてもいました。 それは 商品としての音楽のシステムが喚起し提供する熱狂です。 今や 5万人が集まるコンサートでも機動隊が出動するような事態はありえなくなったのですこの日 ビートルズは軽い朝食をとったあと相変わらずの警備の中を羽田空港へと向かいました。 今月 浅井愼平さんは東京公演のビートルズの写真を30年ぶりに展示しました。

ビートルズが 当時もたらしてくれたかもしれない可能性というものはその後の過程の中で我々の多くの手元に果実として残ったと言っていい。