避難生活が長引くにつれて衛生環境の悪化で津波や地震から逃れても避難所は決して安住できる場ではなかったのです。 あの さださんは東日本大震災の時避難所をいろいろ回られてどんな事を思い出されますか?ストレスは たまるし…。 また その避難所生活もいつまで続くか先が見えないところもありますからね。 多くの避難所が被災したため内陸にあって被害を免れた弓道場に住民たちが逃れてきました。 あらかじめ 避難所に指定されていた公民館にも毛布や水 食料などの備蓄は全くありませんでした。
だから 指定避難所に備蓄しなければいけないというわけではないんですよ。 で 高田第一中学校の体育館は1週間ほど前に出来たばっかりなんですが実は 新しくなるのであればそこが備蓄倉庫を作って下さいという提案を教育委員会にしたんですが残念かな 予算がなかったんです。 でも 隣の大船渡市の大船渡中学校は備蓄倉庫があって 食料 水 毛布そういったものが配布された。
まず自分は 宮城県の災害医療コーディネーターという立場でもありましたので石巻医療圏の救護活動をよろしく頼むという立場でもあったんですね。 実は 3月の16日に水の引いた市役所に行ってですね避難所の紙のリストをもらってきたわけですけども大体300か所ぐらいあって避難所の名前と避難所に入っている被災者の人数しか書いてなかったんですね。 これ避難所がどういう状態になっているかをこれは 一回調べないとどういう対策を打っていいのかも判断できないと思いました。
岩手県トラック協会の専務…あの日 大きな揺れのあと被災地への物資輸送の準備を始めます。 東日本大震災の時は例えば宮城県は石巻から情報も発信できませんでしたし外からも入ってこなかったというのでそういう情報連携不足というのがまず一つ 大きな理由なのかなと。 それから 僕たち困ってるんですよっていう声を上げられない避難所も恐らく たくさんあったためにそういった所には 支援物資が回りづらかったんじゃないのかなというふうに思いますね。
河田さん何らかの理由で避難所に入れない災害弱者の方っていうのはどうしたらよいんですかね?この問題は2004年の新潟県中越地震で直接亡くなった方が16人だったんですが震災関連死がその3倍 出たんですよね。 東日本大震災を受けて例えば 福祉避難所に入れないと。 福祉避難所が潰れちゃったとかなった時にホテルとか旅館を 2次避難所として使えるっていう。