震災で 1,200人以上の死者・行方不明者を出しました。 古くから 漁師町として栄えた岩手県大町。 私 桐谷健太もこの夏 初めて町を訪れ水揚げは まだ震災前の半分。 ケイさんは 大町で生まれ中学時代はバレーボールで県大会に出場。 町の保育園の理事長を務める東谷さん。 園児の無事を確認し戻ろうとした時津波が 自宅を襲いました。 震災の死者・行方不明者およそ1,200人のうち650人の「生きた証」が集まりました。
清美さんには2人の息子がいます。 震災当時は 18歳と15歳でした。 一方で 町内にはまだ48か所に仮設住宅が。 あの日 母親と妻そして 孫の翔也君は海から 200m離れた自宅で津波に襲われました。 犠牲者を出さない方法を一心不乱に考えました。 上野さんも 震災で夫の強三さんと娘の芳子さんを亡くしました。 しかし 町の職員だった芳子さんは役場に戻り避難所設置の準備をします。 語るのを ためらっている人が冊子を見て「自分も大切な人の記録を残したい」そう思ってほしいと願っています。
子どものころ 家庭は裕福ではなく苦労の連続でしたが自分の子どもには苦労させまいと自慢げに見せていました」。 今まで気がつかなかった事にすごくね 気がついたり大切な人を大切だって思えるねそういう気持ちがそんなね きっかけにもなったかなって。 残された家族全員が前を向ける日まで前を向こうとする方がいらっしゃいます。 この秋も 特集番組「こころフォトスペシャル」をお送りします。 あの日大地震で亡くなった夫へ。 残された家族は大切な人の面影を胸に是非 ご覧になって下さい。 今回は岩手県山田町の皆さんです。