12日間にわたって行われたリオパラリンピック。 そして2012年ロンドン大会まで6大会連続でパラリンピック競泳目の見えないクラスに出場した河合純一さんよろしくお願いします。 160の国と地域などからおよそ4400人が参加しましたリオデジャネイロパラリンピック。
シングルスのベスト4は3人がオランダのチームで上地選手だけが才能のある選手がこの競技を続けていって当然このパラリンピックのところも今、我々が所管しているわけなんですけど今、言われたように選手が思う存分トレーニングを積めてそういったものを発揮できるような環境をみんなで整えていく必要がありますね。 IPC・国際パラリンピック委員会の広報のコメントがありまして日本に今大会金メダルがなかった。
競技性が高まっていく中でこういうことが起きてしまうということはもしかしたら予測があったのかもしれませんが前より安心して、安全にそして、競技に打ち込めるそういう大会をこれからパラリンピックはこういうものをむだにすることなく続けていかなければならない。
4年前ロンドン大会のテレビを見てパラリンピックをやってみよう競技に取り組んでみようということで今回、銀メダルを獲得した選手がいましたよね。 陸上の車いすの部佐藤友祈選手が400mと1500mで銀メダルをとりました。 4年というのは短いようで可能性はあると思うんですねパラリンピックの場合はですから、今、閉会式を見ながら自分にもできるんじゃないかとそんな思いがあったらぜひ、トライしてもらいたいとしてくださったわけですけどそれを見た障害者の皆さんがそんなことができるかなというふうに考えています。
風間さん、いかがですか?やはり、これからの選手これから育っていく選手というのを見てますます東京パラリンピックが楽しみになりました。 パラリンピックの障害の軽いクラスのリレーなんかを見ますとインターカレッジとかインターハイで決勝に残るようなレベルで泳がないとメダルに手が届かないという状態ですから河合さんは、最初の大会が1992年のバルセロナ大会でそのあと、アトランタ大会で金メダルをとりました。
そのころからそれで初めてのオリンピックが2004年のアテネだったわけですけれどもそのパラリンピックのときにぜひ、その施設で我々も練習をさせてほしいと一選手の願いをお聞き届けいただいたというそういう感じですね。
今回のリオデジャネイロパラリンピックでは風間さん、ボランティアの力感じましたね。 リオパラリンピックで躍動した選手たちです。 いよいよパラリンピック旗がリオデジャネイロから2020年、次の開催都市東京へと渡されます。 リオデジャネイロから東京へパラリンピック旗が渡りました。 実はパラリンピックという名前が初めて使われたのは1964年、東京大会でした。
すばらしいオリンピック・パラリンピックの試合を実現しました。 これも、オリンピック・パラリンピックを実現しそしてこれは世界のスポーツの歴史に残ります。 期待を上回る成果を挙げ記録を塗り替えオリンピック放送機構のすばらしいサービス世界中のマスメディアソーシャルメディアのおかげでパラリンピアンの活躍が記録的な数の国々に届けられました。 伝統に従い、リオデジャネイロパラリンピックの閉会を告げます。 リオデジャネイロパラリンピックは本当にすばらしいものでした。
本当にリオデジャネイロの人たちを見てバリアフリーっていうのはやっぱり日本だと、建物だとかエレベーターで下のほうにボタンがあったりすることをバリアフリーとさすことが多いんですけど、人々の気持ち応援したい一緒に分かち合いたいという気持ちが一番のバリアフリーなんじゃないかと思いました。 私は、この期間中に障害者施設を訪問させていただいたんですけどそこで聞いた話でやはりパラリンピックがきて作られていたというんですね。
今回、ボッチャが大活躍してメダルをとってくれましたけど皆さんが気楽に車いすだからじゃなくて自分たちも座ってやったら同じような表現じゃないかと思いながら、気軽にそんなところもできたら非常に強豪国であるタイなどはストリートボッチャのような形で街なかで、道端でというのも聞いたりしますので東京の、日本ならではのこういう障害者スポーツボッチャの広め方というのもあっていいのかなとも思っています。 そのとき日本人学校の子たちが応援のメッセージを言っているときに手拍子がブラジル風といいますか。
どんな人でも楽しめるような4年後、東京オリンピック・パラリンピックになるといいなと。 ブラジルリオデジャネイロパラリンピック閉会式。 リオパラリンピックは22競技528種目が行われました。 今回のリオパラリンピックには残念ながら予選で出場できなかった競技もありましたがその関係者もそのリオで姿を見かけました。 これはこれで競技場に行けない人もあの聖火を見てオリンピックやパラリンピックの雰囲気を味わえる非常に街が一体となる1つの方策だなということを感じましたね。
街じゅうが本当にオリンピック・パラリンピック盛り上がる本当にいい聖火台ですね。 熱戦が繰り広げられたリオパラリンピック。 ポポフ選手はランニングクリニックみたいなのを世界中でやったりして本当に義足で歩く、走るというところまでがすばらしい活躍でした。 陸上のリレーで銅メダルをとったときそれを見たときは何かオリンピックの姿も重なるような形で。 パラリンピックのマスコットトム君も跳ねます。
さらに、台風本体の発達した雨雲がかかるため、西日本では今夜以降、九州北部と山口県で250ミリなどと予想されています。 気象庁は、九州など西日本ではきょう夕方以降、暴風や高波、鹿児島県のトカラ列島の島々から成る十島村は、口之島と中之島の一部の地域の合わせて13世帯21人に避難勧告を出しました。 この中で岸田大臣は、北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返していることを取り上げ、このような安全保障環境の下では、安全保障協力の強化が必要不可欠だと述べました。
こちらでも東京へのハンドオーバーのセレモニー、さらにはそのあと10分近くのショーを見てきましたけれども会場も盛り上がりましたし鈴木さん、いかがでした?数分間のショーを見て東京、日本は障害のある人ない人に関わらず活躍できる国なんだろうなというのを金メダルが0に終わった。
これから4年間、日本の人たちもいっぱいパラスポーツを見てそして、4年後実際に自分の目でパラリンピックを見て何も感じないなんていうことは絶対ないのでぜひとも自分の目で見ていただけたらなと思いました。
知人が言っていたんですが彼が言っていたのは北京オリンピックの4日前にはすばらしいパラリンピックになるだろうと言っていました。 パラリンピックをオリンピック以上に多様なアスリートの戦いとしてより熱く応援できるよう日本人の意識のバリアフリー化を強く願っています。 東京パラリンピックは現在の代々木公園内にある競技場で行われました。