小さいころから西洋音楽を聴く楽しみを持っていてロックに夢中になったりしていた人間が、雅楽を習得してそれも日本の美学はいろんなところに見受けられて例えば、ことば1つとってもいろいろな意味を表現する技があったり。 百人一首はお勉強事で難しいと思われるかもしれませんけど実は同じ時代に雅楽というとても、貴族の中で当たり前に流れていた音楽があって、その音楽と一緒に結びついて日本の歴史とか文化を再発見してもらいたいなと思いましたね。
1400年前に日本に入ってきたシルクロードのものだから1500年前から2000年ぐらい前に大陸で生まれたんですけれども形も音色も変わらぬまま生きているということが。 僕はいろんな曲を吹いてるのを見て短くて手軽な感じがしてそれもあいまって比較的簡単な楽器だというふうに感じる人が多いと思うんですけれども吹いてみると難しさ、奥深さに気が付くと思います。 すごく音楽をオーバーな話宇宙と人のコミュニケーションの手段だったりした。 でも、東儀さんが子どものころ親しんでいた音楽は雅楽ではありませんでした。
雅楽師になろうという道に目を向けてみたらいいのにとやりなさいという強制ではなくて選択肢として与えられて。 僕は実は小さいころ父の転勤でかたや好きなのはロックで雅楽を知らないで雅楽じゃなくてロックだと言っている自分もおかしいなとロックをやるにしてもロックを知ってから知ったけれども雅楽を選びませんでしたといえば誰にも文句を言われないだろうと。 教科書もなしで?筆記も?ああ黄みがかっている緑だとか灰色がかっている緑だとか僕は雅楽以外に比べる音楽があったんです。
宮内庁を辞めた東儀さんはフリーの雅楽師として1996年、「東儀秀樹」でデビュー。 もちろんやりたいことはいくらでもあるんだけれども昔からそうだったように最終的にあそこに行きたいんだという目的を僕は持とうとも思っていなくてすごくオーバーな話音楽家、雅楽師であるという肩書は今のこの瞬間でしかなくてこのスタジオパークが終わってきょうの帰りにどんな出来事、どんな出会いに出くわすか分からなくてそのことによって考えが変わる可能性だってあるわけじゃないですか。
この日、東儀さん親子が作っていたのはフェルティング。 このフェルティングっていうのは針で羊毛を刺していくと布に埋め込まれていってそれを切り取ったりすると立体的な作品になる。 これ全部ペットボトルでできているんですよこれなんかシンクのごみ受けをフロントグリルにしてみたりとか全部そこら辺にある廃材とかを集めて。