スタジオパークからこんにちは 島田洋七

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この番組のまとめ

洋七さんと言いますと、私たちにとってはB&Bですよね。 ところがその一方でベストセラー作家という顔をお持ちです。 漫才師で作家の島田洋七さんです。 私たち、資料をいただいてすごく意外だったんですけれどスタジオパークは初登場なんですね。 ファンの皆さんと近くでということなんですけれども先ほどB&Bと申し上げましたが私たちからすると、お昼というのはB&B、洋七さんを見ていたなりましたけれども何冊か書いています。 深夜番組のラジオに2時間ぐらい。

いきなりおばあちゃんと2人でどんな毎日だったんですか?ばあちゃんは仕事をしていたんです4時半から佐賀大学付属小学校のトイレと職員室の掃除をしていたんです。 今の嫁はんと野球部の先輩、嫁と行ったら先輩は昼仕事やから、奥さんが大阪名物は吉本新喜劇と漫才とりあえず人に行ってこいと全く知らんかったです。 先ほどやっていたそのころは師匠とか名前は知らんですけれども舞台立っていたおっさんがロールス・ロイス、高級車で出てきたんですよ。 それが笑福亭仁鶴師匠なんですよ。

この番組、やすし・きよしさん星セント・ルイスさんとB&Bという3組。 B&Bはお昼の番組の司会も担当し大忙しの日々が始まります。 あとクイズ番組とか歌番組もそのほかにありました。 ずっと夜、覚えたりとかしんどいのは、クイズ番組で問題は司会が出すんですよ。 佐賀にという辺りがヒントになると思うんですが大人気のころ、知らないうちにお宅の押し入れに給料がたまっていたことがあったそうです。

ファンレターもいっぱいあったんですね、昔。 それこそ段ボール箱で?デパートの紙袋であんなにファンレターと下にお金が入っていますともらうんですよ。 これ毎月渡しているよどないした?袋?と聞いたらファンレター、押し入れにあるがなと夜中12月の末に、押し入れを開けたんですよ。 1万円稼いだら7500円税金ですよ、昔は。 マラソンでも用意どんでスタートしたら国立競技場…演芸場じゃないですよね。 国立競技場出た時点でへばってしまってね。 これが徐々に評判を呼び2004年ついにベストセラーへ。

かみさんの実家も佐賀県ですけれども僕は家出の途中に漫才師になったようなものでだからそんなにずっとと思わなかったね。 15年前に佐賀県に帰ってばあちゃんと同じような生活をしたいなと思って。 そのときにいた人が洋七さんは佐賀県でしたかね?広島県でしたかね?と言うんですよ。 僕は広島県だけれども佐賀県のばあちゃんの家に預けられたそのときに、がばいばあちゃんの話をしたらつながりについてクイズです。

時計を見たら電車がないかもと言ったら食堂の奥さんが間に合わないかもよと言ってもう間に合わなくていくら持ってる?と言ったらビートたけしは400円で島田君はどれぐらい持ってるの?と言われて僕は700円でずっと東京まで歩いたんですよ。 その次がタイトルをつけた。 正解は?緑のタイトルをつけてもらったです。 タイトルですか。 おしゃれなタイトルですね。 悲しいのか悲しくないのかどっちやねんと言ったらそうじゃないとおしゃれなタイトルですよね。

そうしたら4時間後に電話がかかってきて全国で売りましょうと。 俺は腹が立ったのは俺の本は4時間で読めるのかということですよ。 ベストセラー作家になるまでの間先ほど居候をしてらしたっていう話もありましたね。 起きたら必ず3万円とか4万円とか枕元に置いてあるんですよ。 四谷のスーパーに行って軍団の分とか10人分ぐらい買ってきて俺は料理長みたいなことをやっていたんです。 3万円とか、相当ありますよね。 メニュー考えたり何食いたいかと聞くと鍋とあいつがリクエストするから鍋にして。