ひるまえほっと

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この番組のまとめ

カメラマンを志したきっかけってなんだったんですか?私、幼稚園から高校卒業するまで群馬県にいて、中学生のときに、父親が亡くなって、一眼レフのカメラをもらったんですね。 それで写真を撮るようになって、高校の卒業のときの、卒業アルバムの制作委員長をやってて、ンになろうと思ったのは、カメラマンっていうと報道カメラマンか、広告カメラマンしか、それぐらいの違いしか分からなかった。 報道カメラマン時代に、どんな写真を撮っていたんですか。

かわいい動物の写真の向こう側に、深刻な地球環境の変化があると気付くと、ぐっと胸に刺さりますよね。 小原さんは年に40回ほど、こうして講演活動を行っていて、自分のことばで地球環境の変化を伝えているんです。 続いてわたくしの尾瀬フォトコンテストの作品募集のお知らせです。 一番左のステージ1、つまり早期発見で治療に当たれば、90%以上の確率で治せることが分かります。 早期発見で、1人でも多く救いたいと、埼玉で活動を続ける女性を取材しました。 持田さんたちは、啓発活動も行います。

警察によりますと、訪問販売の被害を防ぐという触れ込みで、その警察官に取り押さえられた暴力団員がその直後に意識を失って、およそ1時間後に死亡しました。 昨夜7時半過ぎ、群馬県高崎市上豊岡町の携帯電話販売店で、もめ事が起きていると警察に通報がありました。 警察官2人が駆けつけたところ、客の男が、近くの路上で暴れだし、警察官の腕にかみつくなどしたため、公務執行妨害の疑いでその場で逮捕されました。

このコーナーでは、番組発掘プロジェクトの取り組みをご紹介します。 番組発掘プロジェクトとは、テレビ放送開始から1980年代初めにかけての、今は残されていない1963年から4年間、放送されていた、幼児向け音楽教育番組、ドレミファ船長。 さらにNHK初の高齢者向け生活情報番組、お達者ですかでは、司会に抜てき。

そして18歳のころに、幼児番組に出ていたわけですけれども。 幼児番組をやる一方で、その後、お達者ですかという、高齢者向けの番組もされたわけですよね。 最初の幼児番組を新しく作りたい、今までのものと全く違ったですから、…とかなんとかって、こう言われる、えー、どうしようって。 でも、今までの私の路線だけでは、決して、打ち破れなかったでしょう、にとって、もう貴重な、いい体験をさせていただいた番組ですし、なかよしリズムを始めましたときに、視聴者の先生方から、賛否両論の、ものすごい反応があったんです。