ファミリーヒストリー▽ケンドーコバヤシ~祖父の形見のスプーン ウズベキスタンへ

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この番組のまとめ

の本籍地 岡山県旧東粟倉村を訪ねました。 尋常高等小学校時代の通知表です。 「有漢教員養成所」。 当時 教師が不足しそれを解消しようと設立された教員養成所です。 が教師になって4年がたった ある日同じ小学校に新人の女性教師が赴任してきます。 しかしその4年後 日中戦争が勃発。 再び 小学校の教師として働き始めました。 昭和20年3月は 朝鮮半島の平壌現在のピョンヤンで鉄道警備の任務に就きます。 そこで 10か月間住宅建設や道路整備などの作業をさせられました。

ウズベキスタン。 現在のウズベキスタンは平成3年のソ連崩壊で独立した人口およそ3,000万の国です。 ウズベキスタンに行ってたんや!戦後 ここに 少なくとも2万3,000人の日本人が送られ強制労働に従事しました。 この建物も日本人が建設に関わりました。 館内には 抑留された日本人ゆかりの品々やたちが建設したという製鉄所の寮。 およそ 600人の日本人が収容されていたといいます。 たちは この収容所と強制労働の現場を 毎日 往復していました。

友治は 高校卒業後 大学進学を目指して予備校に通う予定でした。 その血を受け継いでる僕ですからこれ 是非 ほんと NHKさんでスクランブルリピート放送して頂いてその血を受け継いでる僕ならいいよ という女性昭和45年の葬儀は教え子や 元同僚たちが駆けつけ盛大なものとなりました。 「安東は 常に 先祖に恥ずかしくない人柄になれよと申しておりましたので人としての道だけは誤らない事を信じて村の小学校で30年間の教師人生を送りました。