NHKアーカイブス「“喪失”からの“再生”~カンボジア 映像が切り拓く未来〜」

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この番組のまとめ

フィリピンからは ブリランテ・メンドーサ監督クォーリーカーさんはカンボジアを代表する女性監督として今 世界から注目されています♪~カンボジアの歴史を記録したフィルムを探すためですカンボジアは かつて映画作りが盛んな国でしたが今では それらのフィルムは国内に ほとんど残っていませんクォーリーカーさんが生まれた1970年代からカンボジアでは激しい内戦が勃発しましたクォーリーカーさんは自らの作品の中で内戦後 僅かに残された映画フィルムを手がかりに家族の過去を探る少女を描きましたこの間に「カンボジア」というキーワ

ベトナム戦争はインドシナ戦争へと拡大したのです1970年 シアヌークが外遊中にカンボジアで クーデターが起こりました政権を握ったのはアメリカの強力な後ろ盾を得た軍人ロン・ノルでしたしかし シアヌークを熱狂的に支持する民衆たちがこれを容認する訳はありません。 日本映画大学の教授で内戦下のカンボジアで日本国際ボランティアセンターの一員として援助活動をされていらっしゃいました熊岡路矢さんです。

さあ 今カンボジアの内戦を振り返る時私ども NHKに残されている映像でご紹介致しましたけれども今 カンボジアには当時の映像資料というのはあまり残されていないんですか?ほとんどが廃棄されました。 また カンボジアに残された映像も管理が きちんとされていません。 この番組の冒頭で紹介された私の映画の中にさあ 今度は NHKに残されたカンボジアの映像の中で今回 クォーリーカーさんが特に心に残ったという作品の一つをご覧頂きたいと思います。

商売を営む裕福な家庭に生まれ育った母 ソトさんですが内戦で 全ての財産を失いましたパイロットだった クォーリーカーさんの父はポル・ポトによる支配の下ポル・ポトの支配が始まったばかりの頃世界中で活躍していた多くの知識人や技術者たちがつまり 歴史をひもとく事は加害と被害の両方を父親が殺された村を訪れました目の前に浮かぶ父親がまるで囚人のように扱われ痩せ衰えていった姿。

将来のカンボジアの中枢を担う人材が全国から集まり 学んでいますポル・ポト時代にカンボジア語の学術書は焼かれ勉強するには英語が欠かせません同じ年頃の若者たちが内戦時どのように過ごしていたか。 1960年代 日本橋の建設に従事した日本人の青年フクダはカンボジア人女性 ミリアと恋に落ちました。 それは まあ ポル・ポト時代であれカンボジアの歴史…それで カンボジアの歴史の中にはあまり… 蓋をしたい部分もあるかもしれないけどもそこを開けて親の世代 子どもの世代で話し合えるようにしたいという事で映画を作った。