スタジオパークからこんにちは 日曜TUBE「浅野祥雲三大聖地」

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この番組のまとめ

長野県上田市の別所温泉にある、かつらの大木。 いつもオリンピックでのレスリングの試合を家族みんなで応援しています。 丹波篠山にある王地山稲荷神社です。 ありがとうございます!きょうのゲストは女子レスリング選手の浜口京子さんでした。 これはどこ?愛知県や岐阜県中部地方の公園には巨大なコンクリート像のいつの間にそんなに?しかもたった1人の方が作ったものです。 中部地方の各地に何ともいえない表情の像たちが中部各地に置かれたこの独特なコンクリート像。

案内人の水島奈緒キャスターと浅野祥雲研究家の大竹敏之さん。 鎌倉時代の僧、親鸞聖人や法然上人のエピソードが再現されていてその教えを学ぶことができます。 まずは祥雲のコンクリート作品をじっくり拝見。 そうした愛知の風土の中祥雲は、いつまでも人々に触れて楽しんでほしいとコンクリートで像を作ることを選んだのです。 それは夜盗耳四郎聞法の場というところです。 コミックになっているんだわあ!説法に感銘を受けた耳四郎は改心し、盗賊を抜け法然のもとに通います。

ということで、桃太郎神社で解き明かす祥雲の謎は…。 日本人体型でありつつも。 こちらは、最大の見せ場桃太郎が鬼を倒したシーン。 では、どうしてこの桃太郎神社に祥雲さんの像があるのか紙芝居でご紹介したいと思います。 そもそも桃太郎神社ができたのは1930年。 でも桃太郎役と猿役の子どもがいるのね。 この志に深く共感した祥雲は子どもたちが見て、触って、乗って楽しめる独特な像を30体作りました。 戦前は、お国が大切だけど戦後になってから自分の子どもが育つことがひいては日本の国の復興につながるという。

土を焼き、色づけした土人形と呼ばれる浅野祥雲さんの本名です。 800体、作り続けたモチベーションは何だったのか?孫の都さんとその夫の哲夫さんは晩年の祥雲の制作を手伝っていたそうです。 祥雲は、そうした人々を慰霊するための仏像を作りたいと造形師を志したのです。 つまり祥雲さんが生涯を懸けてコンクリート像を作ってきたのは慰霊の思いがなるほど。 祥雲が、昭和12年から18年にかけて作った、兵士慰霊像。

桃太郎神社に。 桃太郎神社に、いたね。 やったあ!石田三成だ。 戦いで負ける西軍、石田三成の陣。 全然守ってもらってないですよ石田三成。 あれ?武田信玄…武田信玄はいないでしょう。 武田信玄の亡霊です。 亡霊、えっ?合戦以前にこの世を去った信玄から、メッセージが。 ウォーランドと祥雲の関係性についてご説明したいと思います。 ウォーランド設立の理由が関ヶ原の合戦で亡くなった兵士を弔うだけでなく争いがない世の中の実現を願うものだったからです。 大谷善継が切腹のとき介錯をした、湯浅五助を探せ。