真田の名が天下にとどろいたのが戦国時代の最後を飾る…総勢30万に及ぶこの大合戦の中で信之の弟 信繁は出城 真田丸を拠点にして徳川軍をさんざんに悩ませた。 だが 信繁が真田丸で活躍すればするほど徳川方にくみした信之の立場は悪くなり真田家を存亡の危機に立たせる事になる。 「大河ドラマ 真田丸」の主人公真田幸村こと信繁ではなくお兄さんの真田信之です。 そして 今回は 戦国時代の最後の大合戦 大坂の陣の前夜に訪れた真田信之の選択に迫ってまいります。
信之の正妻は家康の重臣 本多忠勝の娘であり西軍首謀者の一人 大谷吉継の娘である。 半々以上の確率で読めない場合やっぱり あの天才は戦国保険をかける事にして掛金は 3分の2を 恐らく西軍3分の1を 多分 犠牲者になるかもしれないと思って信之にかけ…。
さて その犬伏の別れの結果昌幸と信繁は九度山で幽閉生活を送るという事になるんですけれども信之という人はやっぱりどんな人に対しても自分の行動を説明できるような手をとるという性質があるように思うのでそうするとこの人は…ひいては説得もできたと思いますし。 そういうふうに 自分自身が徳川と豊臣のですね 関係に次第に暗雲が垂れこめてくるという状況の中で徳川方の信之にとって敵となるばかりか幕府に責任を問われ改易される可能性もある。
信繁同様大坂城に集まった牢人たちは10万余りに上った。 対する幕府軍は 倍にあたる20万の大軍勢で 大坂城を包囲。 今年2月 徳川家ゆかりの松江で真田丸に関する新たな発見があった。 真田丸とは陸続きで防御が手薄なために大坂城の南側に築かれた出城である。 ですから もし 北側の谷に徳川軍が回り込んでこの真田丸を攻めるっていう事があっても自分自身で 北に対しても守りを固めて真田丸を防衛できるというですねそういう構えをしていたっていう事が 読み取れるんです。
恐らく処刑されたんだろうというふうにいわれているんですけれども…信之は 93年の長き生涯を閉じるまで真田家を存続させるために奔走し続けたのである。 特に 大坂方に親戚がついたり疑われてる真田家にしてみると生き残り確率は半分以下と思った方がいい訳で。 それが ず~っと やっぱり彼自身の中に根づいてしまってそれで戦うっていうのが自分の本領だとお城で言いましても 信之は上田城を壊されてしまって第二次上田合戦のあとですね。
その中に関ヶ原の戦いで敗れた石田三成や大谷吉継が信之としてはあの一連の関ヶ原前後のですね西軍方の書状群というのをある意味真田家の重要な記録としてまた 自分自身が 父 弟と私はそう考えてます。