♪~会場には避難生活を送る女性たちの他自治体の職員東京にある福島県のアンテナショップの職員そして地元の高校生や大学生も参加しました。 この「あるもの」を探して磨いて元気をつけていこうというような石井絹江さんは福島第一原発の事故でふるさとの浪江町から避難し現在は福島市で暮らしています。 石井さんと共に活動するのは避難先で出会い仲良くなった女性たち3人です。 浪江町は今も全町避難が続き2万1000人の町民全てが避難を余儀なくされています。
私も浪江にいる時、エゴマを作り始まったっていうのはエゴマを作ったら搾油して油にしてみんなで健康になろうねって始まったのがエゴマだったんでやはり福島の地でもそれはなくしたくないと思って頑張ってます。 福島の阿武隈山地の山あいに位置する村の特産品だった凍みもちの加工場を再建する事になったのです。 加工場の経営者…富子さんは凍みもちを復活させる事で村の復興を支えたいと考えています。 村を去る日、富子さんはお別れに加工場を訪れました。 現在は、福島県三春町の復興住宅で娘夫婦などと4世代10人で暮らす富子さん。
佐野さんは研修先のドイツで女性たちが単なる働き手ではなく自ら考え主体的に農業に取り組む姿に衝撃を受けたといいます。 帰国後、佐野さんはすぐに、行動を開始します。 有機農業が盛んで、女性が元気に活躍していた飯舘村。 そのころ、佐野さんが出会った80代の1人暮らしの女性。 震災前は飯舘村のリーダー的な存在でした。 仲間と一緒に作業をする中で参加者たちは元気を取り戻してゆきました。 また、来年3月には飯舘村は、一部を除き避難指示区域が解除され自宅に帰れる見通しです。
だから宿がなければ友達のところ泊まれば、ゼロ予算でしょ?そういうふうに発想したらどうですか?大事なのは、垣根を越えて自分の専門を超えて行政だ何だかんだ一緒にやった方がいいですよ。 12年前、スマトラ島沖地震で大津波に見舞われたインドネシアからも参加がありました。 東日本大震災の被災地の高校生は自らの教訓を世界に伝えたいと参加。 当時の行動などについて聞き取り調査を行った結果を発表し高校生たちは最後に、黒潮宣言を採択。