スタジオパークからこんにちは「母が語る~阪神・淡路大震災から20年」

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この番組のまとめ

どういうふうな軌道でこのジャズ喫茶をすることに至ったのかなって自分なりに勉強したの。 そうしたら明治三十何年あまりになるわけよ。 このころの女学生って昭和10年代皆さんおやりになったんじゃないですか。 洋服のセンスもすごくいいですものねお母様シンプルで。 そんなお母様との刺しゅうの不思議な縁がある「べっぴんさん」現在絶賛放送中です。 女優の江波杏子さんでした。 続いては全国に54あるNHKの放送局が放送した番組を阪神・淡路大震災のドキュメンタリー作品です。

作品は高く評価され「地方の時代」映像祭で優秀賞に輝きました。 追悼行事に集まった人々の中に優と、そのご両親がいた。 二卵性双生児で優には、将という名前の兄がいた。 川の字になって2階で寝ているときに隣にいた息子の「ううっ」という声が聞こえて、そのとき初めて私は、われに返って息子…子どもたちのことにやっと意識がその時点で、いったんですけど。 将君の死によって、笑い声にあふれていた高井家は一変した。 だから本当に…どれくらいかな夏…半年以上はこの子がいてくれたから生きてこられたっていうのはもっとあとの話で。

優と将君が1年半を過ごした山口市内の社宅を引っ越すときお母さんはうちの中をビデオに収めた。 主人自身の性格にもよるんですけど、私が「今、将君どうしてるかな?」って言ったら「死んだら何も残らない」って言ったりとかそういうことを主人に言われると私が、どんどんどんどん主人に対しての不信感が募っていって、あげくの果てになんで私はこの人と結婚したんだろうというふうになって離婚…何で私はこんな変な人と結婚したんだろうってすごい思っていて。

小学校の入学式。 入学式に出ているときにやっぱり息子のことは思うんですけどああ、私、もしかして息子が出るはずの入学式に今出ているのかもしれないって。 本当だったら子どもが死んじゃったら死んだ子どもの入学式って出られないじゃないですか。 でも、娘がいてくれたから双子だから、今、私は息子が本当は出るはずだった入学式に出られるんだって、すごい感じて。

プロペラがばーっと回ったまま家に突っ込んできてみんながけがするっていうような夢をみ始めて、もうこれは絶対無理って思って、それでカウンセリングを再開しました。 お母さんは再びカウンセリングを受けることになった。 カウンセリングの中で治療する中で認知行動療法っていってつらいことをやることでちょっとずつ慣れていきましょうっていう治療なんですよ。