NHKアーカイブス「夫婦 最後もふたりで」

戻る
【スポンサーリンク】
14:59:09▶

この番組のまとめ

映画監督 新藤兼人さんと女優 乙羽信子さん夫妻。 アーカイブスの映像から見つめますシンガーソングライターのイルカさんです。 イルカさんは 夫で音楽プロデューサーの神部和夫さんがパーキンソン病と診断されてから10年前に亡くなられるまで 20年間介護 看護をされてきましたね。 夫は 早稲田のフォークソングクラブの幹事長としてですねまあ コーチみたいな形でやって来てそこで初めて出会いました。 いや 今日これからご覧頂きますのは二組の夫婦の人生の最後を描いた番組なんですね。

家内は きちんと着物を着ているが私は 寝巻きだけだ。 家内の背中に手を回し抱えるようにしてベッドへ連れていった」。 「家内は 板の間の 向こうの隅の鏡台の方へ行った。 髪を直している家内にカボチャの値段を聞いた。 『カボチャだけだよ。 カボチャ以外のものは買わないでくれ』と言った」。 落とす薬はあるに違いないと思うが家内は 新品を買ってくる。 「蛇口から出る水の音やカボチャを切っているらしい音などが台所の方から聞こえてくる。

結婚以来 2人の相談相手は耕さんの絵の先生中川一政さんでした。 大正7年白樺派の作家 武者小路実篤がこの地に理想郷の建設を始めます。 今から65年前当時16歳だった耕さんは新しき村の運動に共鳴し故郷 熊本から たった一人でこの村を訪ねました。 耕さんと妻のヨシさんは東京の婦人雑誌社で共に編集の仕事をしていました。 毎日の仕事は忙しく小説を書く時間がないと思った耕さんは 結婚後は会社を辞め家内が勤めていた雑誌社に入ったが4年働いたあと胸を悪くし 病院へ入院した。

家内は 何にも言わず私が請求した旅費の倍近い金を渡してくれ私の靴をそろえ門の扉の外まで送ってきて『無事に帰って下さるまで待っています』とそのための金は今 持ち合わせないが必要なら どんな事をしても作らねばならない。 かつて武者小路実篤氏が創設された宮崎県の新しき村の事を思い出した。

すると 家内は起き上がりベッドの縁に腰掛けた。 この四畳半の部屋でたった一つ 目につくものはある時を境に煮炊き 洗濯 買い物 家事一切何もかも 自分でやらなければならない苦労は大変なもんだったろうと思います。 老人ホームにいる家内がふいに浮かんだ」。 脇に 着物を着た 眼鏡をかけた50年配のご婦人が付き添っていられた。 家内に付き添ったご婦人は車椅子の脇に しゃがむと『奥さんは私と一番よく話します。 家内は 血色もよくよそ行きの着物を着ていた。 家内は ニコニコし何かしゃべっている。

ですから 奥様が いろんな事表現できなくなったり少しずつ変わっていかれる中でも奥様の感性で発した言葉を旦那様は きちっと そこに愛を感じる事ができたっていう事は何て言うんですか幸せみたいなものをね現状としては 大変であってもそういうものを私自身は乙羽信子さんと新藤兼人さんが出会ったのは 45年前でした。 乙羽さんの余命を知らされた新藤さんは本人には最後まで告知しない事を決めました。 深刻な病状を自分の胸の奥に しまい込み乙羽さんには 残りの人生をこれまでどおり歩んでほしいと考えたからです。

手術から半年後新藤さんから乙羽さんに映画の台本が手渡されました。 乙羽さんが尊敬する杉村春子さんとの共演の夢も実現しました。 乙羽さんは 台本を何度も下読みし役作りに専念していました。 乙羽さんは 夫の新藤さんには黙っていましたが自分の病気を知っていました。 杉村 乙羽がどのくらいの撮影スピードに堪えられるかと思ったが案外 やれそうだ。 乙羽君に 週1度 特殊な注射をして頂いているのでお願いして 来てもらった次第」。 乙羽さんの体力を心配する新藤監督。 乙羽君 帰郷。