金曜eye「小さな旅スペシャル“わたしの東京物語”」

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19:47:19▶

この番組のまとめ

オリンピック開催に合わせた都市開発です34年前に 放送がスタートした「小さな旅」。 ♪「オリンピックの顔と顔 ソレ トトント…」…って 何か校庭で練習させられましたよ。 「チャスラフスカ」が言えなくて「チャフラススカ チャフラススカ」って。 私は 山口出身で東京オリンピック 昭和39年に初めて 家にテレビが来たんですよ。 オリンピックのおかげで テレビを見て。

東京・銀座で生まれ育ちましたこの劇場の真向かいにあるのが62年前から続く喫茶店父親の亮祐さん 90歳です宮本さんが演出家として成功するきっかけを つかんだのもこの街でした椅子も 全部同じだ。 20年以上 再演されている宮本さんの代表作です週末は ちょっとおしゃれをして「銀ぶら」子供の頃 亡き母・須美子さんとよく来た神社ですやっぱり ここはね商売の街でもあるんでうちの おふくろは喫茶店も やってるからここにいつもこうやってお参りに来てましたね。

宮本さんには 今3年後のオリンピックに向けて実現したい夢があります実を言うと…客席は この四方向からで。 私ね 何年か前におすしというのの不思議を ひもときたくて銀座の老舗のおすし屋さんをずっと取材して回る連載を やったりなんかした時はたと気がついたんですけど銀座って下町なんだなっていう。 それを 昭和39年に東京オリンピックする時に交通網を ちゃんとしなきゃいけないっていってどうするかって考えたらこの川利用しようぜって話になったわけでしょ。

関係しますでしょ?それで 特にオリンピックに向けてその水運で水運の公共交通機関を もっと充実させてほしいというのはずっと言ってるんです。 オリンピックって ひとつ そういうチャンスなのかもしれませんよね。 昭和30年代 全盛期には区内に 40館以上あったそうですこの通りで パン屋を営む67歳の豊島時夫さんはそのころの様子を覚えていました高校では 文化祭で初舞台を経験。

創業40年の金属加工会社です大学卒業後は建設会社に勤めていました転職したのは 5年前。 今 拝見してて やっぱり東京 東京って言うんですが地方出身者が頑張ってるんだなという。 地方出身者の街ですからね東京は。 ねえ!私 東京生まれの東京育ちとか言ってますけれども父は広島生まれで その前たどると大阪だし 母も大阪生まれだからよそ者っちゃ… もう ほとんどみんな よそ者でしょう。 あと いろんな国の大都市の中で東京の珍しい点って分かります?あの… 地形的に珍しい。

東京って 武蔵野台地が指みたいにグチャグチャに張り出してるからやたらめったら高低差が実はある 坂の街なんですよ。 山田五郎さんが訪ねたのは50年以上前に建てられた倉庫あっ お立ち台!週末 2,000人以上の若者たちが詰めかけた ジュリアナ東京。 当時 出版社で 雑誌の編集者をしていた山田さんもあっ ここも? そうだ!入り口の屋根も 当時のまま。 今は 外資系広告会社のオフィスになっています。

で 湾岸エリアという事で言うと今度 東京オリンピックの会場になって選手村ができるじゃないですか。 どうなんでしょう?オリンピックは もちろんスポーツの祭典だけれども同時に やっぱり都市インフラ整備という役割もあるじゃないですか。 だから 全部 オリンピックのあれはもう湾岸地区だけに集中してあそこの再開発をやって併せて その水路の64年の東京オリンピックの時に埋めてしまったような宅地開発 これが東京の西側にどんどん どんどんのびていったんですよね。

過去の楽しい思い出が互いの絆を深めています「小さな旅」では 21年前多摩ニュータウンを取材しましたこの店は 今も常連客で にぎわっていましたテレビCMなどを手がける映像ディレクター…瀧口さんは 小学4年生から高校を卒業するまで多摩ニュータウンで過ごしました7年前妻の由美子さんを連れて18年ぶりに同じ団地に戻ってきたのです。 瀧口さんが 多摩ニュータウンに戻りたいと思った きっかけは仕事で 全国各地を回った経験でしたこんにちは~。