しかし この事件をきっかけに軍部の政治への関与が一層 強まる事になりますそこには青年将校たちの肉声など日本のその後を運命づけた歴史の瞬間を見つめますゲストの方をご紹介致しましょう。 この二・二六事件陸軍の青年将校の決起によって首都の東京を占拠したんですからこれは大変な事で前代未聞ですよね。 やがて 東京には 戒厳令が敷かれるんでありますがその日の早朝青年将校たち 1,400名余りは長く尾を引いたといわれております。
雑音の原因は 音盤自体が古いからというだけでなく当時の電話の性能の低い事にもよっている。 彼らの決起の目的はその趣意書によれば元老 重臣 軍閥 官僚など国体破壊の現況を除いて大義を正し内外の重大危急に当たろうというものであった。 青年将校たちに陸軍大臣告示を伝達した。 そして このころ首相官邸に立てこもる栗原安秀中尉を電話に呼ぶ一人の女性があった。 兵300を率いて首相官邸に岡田総理を襲撃した。 彼は 青年将校の中で最も急進的な中心人物として終始 事件をリードした。
北 一輝は 特権的地位にある華族や貴族院の廃止国民の自由を拘束する取締令の廃止天皇や国民の私有財産の制限などを主張した。 そして 彼は 天皇親政による国家改造を目指し青年将校にも少なからぬ影響を与えたと見なされていた。 これが 事件発生当時つまり 昭和11年の東京市の電話帳であります。 まず 銀座局ですがこちらを見ますと例の栗原中尉以下のいる首相官邸それから安藤大尉以下が駐屯している料亭 幸楽 そして 山王ホテル。
栗原中尉など青年将校たちへの必死の説得が続けられた。 栗原中尉ら青年将校は行動派の中心人物真崎甚三郎大将を担いで昭和維新を実現しようとした。 28日の この時栗原中尉は 真崎大将にまだ かすかな望みを託していた。 「真崎をかえる事ができないくらいなら「あのね そこに機関銃隊おるだろ?」。 高橋中尉の電話に出た人物は「たにむら」かそれとも「かみむら」かその判定のために明治大学 小川研究室が開発した音声を波形で示す装置に録音の内容を接続した。 歩兵3連隊で上村を名乗るのは機関銃隊の上村盛満軍曹である。
そして 一時 自決を決意した青年将校たちも夕刻までに渋谷の陸軍刑務所へ収容された。 目黒区駒場にあった陸軍省軍事調査部長山下奉文少将の自宅である。 事態の収拾に奔走した山下少将は日頃 青年将校に理解を示し彼らのシンパと見なされていたのである。 二・二六事件の朝山下家でその第一報を取ったのは妻の妹 勝子であった。 あの~ 鈴木さんはですね昭和11年には どちらに…二・二六事件の時には どちらにお住まいだったでございますか?二・二六事件の時はね内閣調査局のね 調査官。
この日より 東京の治安 警察 行政の権限の大半は戒厳司令官 香椎中将以下これら参謀たちの掌握するところとなった。 二・二六事件の時に難波さん 盗聴録音を指示なさったのは あなたですか?はい。 その折はねもう お互いに皇軍が相戦うという事ですからもう 日本は滅びるんじゃないかという 危機感といいますか何としても そういう事があっちゃいけませんのでまあ あらゆる手段を尽くして早く鎮圧せにゃいけませんから反乱軍や それの関係者の情報を集めるためにねまあ 盗聴を指示した訳ですな。