やっぱり 美への探求の方と音楽 調べへの探求の方阿修羅像を守り継いできた興福寺。 今回 阿修羅像をとっておきの空間で見せてくれるそうです。 それが 今回阿修羅像が作られた当初をほうふつとさせる並び方に変わったのです。 そして 見えてきました 阿修羅像。 やはり 自分の中で阿修羅という存在ってやはり荒ぶる神の代表格であって阿修羅像が合掌しているっていうのは何でだろうなっていうのは一つの やっぱり疑問でもあるんですよね。
おわ~!これが 阿修羅像の内部?そう。 阿修羅像の下にあった知られざる原型を突き止めました。 今の やわらかなお顔の阿修羅像とは違う。 お二人は 大極殿は初めてですか?初めてです。 「万葉集」の専門家で奈良時代の文化やその時代に生きた人々の思いを研究している 上野 誠さん。 我々がいる所は大極殿なんですが。 政治 行政の中心なんですが中心を表す言葉がこの建物の大極殿の大極。 奈良の都で ひときわ大きく美しかったという大極殿。 その主こそ 阿修羅像と深い関わりがありました。
阿修羅像が作られた頃玉座に座っていたのは聖武天皇。 その后こそ阿修羅像を作らせた人物日本に仏教文化を広めた女性でした。 光明皇后という人物を ここで考えなきゃいけないという。 阿修羅は三面六臂ですけど八面六臂の活躍をした人がいるって事ですね?そうですね。 1,300年前の日本は高温乾燥した異常気象が続き干ばつによる飢饉が相次ぎました。 光明皇后が取り組んだのが福祉活動です。 光明皇后の福祉活動をうかがい知る事のできる貴重な場所。 肉親の死に打ちひしがれながらも打ち込んだ福祉活動。
光明皇后の時代 日本は朝鮮半島の新羅と緊張関係にありました。 ここに 阿修羅像を生み出す設計図となったものが保管されています。 阿修羅たちを作った光明皇后とこのお経というのはこの経典を光明皇后が大事にしたのには次々に釈のもとに集まり耳を傾ける。 光明皇后が作り上げた空間は当時 東アジア世界で始まったばかりの画期的な表現を取り入れたものでした。
光明皇后はなぜ その阿修羅を少年 あるいは少女にも見えるような若くて美しい姿にする必要があったんでしょうか。 阿修羅像を作らせた光明皇后の思いを探ろうとする人を訪ねます。 阿修羅像の制作技法を知る数少ない仏師 山崎隆之さん。 これが阿修羅像の原型となった顔です。 本来は 阿修羅 怖い表情がまあ こういうふうに。 当時 これ阿修羅像を作られた方も阿修羅を作らせたのは 光明皇后の意志があるんでしょうけどねそれをこう 間接的に伝えるお坊さんみたいな立場の人がね手がかりを見つけました。
阿修羅を巡るミステリーいよいよ合掌の謎に迫ります。 なんと 阿修羅は合掌していなかったというのです。 画面右の阿修羅は手のひらを開き両手で胸の前にほら貝を持っています。 では 明治時代に失われていた右腕も合わせた本来の姿はどうだったのか?調査に加わったのは貴重な仏像の修復を数多く手がけてきた計測した両肘も作り最後に組み合わせて本来の両手の姿を探ろうというのです。 阿修羅像は 右手の肘の角度と左手の角度がオリジナルの部分は 一緒なんですね。