日本を含むアジアの映画監督3人が一つのテーマのもとに共同製作した オムニバス映画…クォーリーカーさんはカンボジアを代表する女性監督としてカンボジアの歴史を記録したフィルムを探すためですクォーリーカーさんが生まれた1970年代からカンボジアでは激しい内戦が勃発しましたクォーリーカーさんは自らの作品の中で内戦後 僅かに残された映画フィルムを手がかりに家族の過去を探る少女を描きました少女は クォーリーカーさん自身の姿でもありました戦闘の様子ですね。
1973年 政権を奪還するためにシアヌークがひそかに 亡命先の中国からカンボジアに戻った時の映像です。 私たちはカンボジアの内戦といいますとポル・ポトの事ばかり クローズアップしてしまうんですけれども実際には大国ですとか 隣国の思惑に翻弄されてきた歴史というのがある訳ですね。 日本映画大学の教授で内戦下のカンボジアで日本国際ボランティアセンターの一員として援助活動をされていらっしゃいました熊岡路矢さんです。
解放戦線側は 国土の人口のを支配していると双方とも 決定的に 相手を打倒する事ができないまま泥沼の戦いが続いているのです。 アチャ君一人が 焼け落ちた家からはい出しましたが傷痕を見せるためにアチャ君は いつも 上半身 裸です。 ここは 難民省の難民受付所です。 熊岡さんはポル・ポト政権が崩壊して間もない1980年代の初めにカンボジアに お入りになったという事ですけれども。 NHKアーカイブスの映像も取り入れて取り組んだ新しい映画作りとはどのようなものだったんでしょうか。
建設 破壊 そして 再建という数奇な運命を経た 日本橋それは 過去 現在 そして未来の懸け橋をするためには最高の舞台だと言うのです新しい映画の撮影が始まりました主人公は1960年代に カンボジアに赴任しこの日本橋を建設した日本人男性撮影には カンボジアの若者たちが参加しました映画製作の勉強のためイギリスに留学し戻ってきたばかりです。