稀勢の里は先場所初めて優勝し19年ぶりに誕生した日本出身の横綱となりました。 決断の背景にはもう一つ尊敬する先代の師匠元横綱・隆の里の存在もありました。 横綱昇進してからの初めての場所で新横綱として優勝した力士は昭和の大横綱・大鵬。 芝田山親方は、稀勢の里の同門として、横綱土俵入りの指導もされてこられましたけれども、けがを悪化させれば、もう3倍も4倍も5倍もっていうぐらい、いろんなプレッシャーがあるんですよね。
そして、稀勢の里が新入幕から横綱に昇進するまでに要した場所数は73。 そのうち大関になって以降が、実に5年余り、31場所と、横綱昇進を多くの人が、いつか、いつかと待ち望んでいたんです。 平成10年に若乃花が横綱に昇進したのを最後に、アメリカ出身の武蔵丸以降、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と、モンゴル出身の横綱が続き、外国勢が横綱の重責を担ってきました。 若貴以来の日本出身の横綱を熱望するファンの声が高まる中、ようやく誕生したのが、72代横綱・稀勢の里だったんです。
やくさんは、稀勢の里のこの勝負にかけた選択、どのようにご覧になりましたか?14日目の鶴竜戦の状態が思ったよりまずかったので、事によると、千秋楽は休むかなという選択も考えたんですけれども、それでもなお出てきたのは、やっぱり、お客の脇を見ればね、やっぱり自分を必要としている。 稀勢の里は大好きですが、日本人の横綱ということがクローズアップされすぎて、違和感がある。