英雄たちの選択 戦国の女(1)“おんな城主”の賭け~次郎法師の生き残り戦略〜

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この番組のまとめ

今年の「大河ドラマ」の舞台は群雄が割拠した…女性の身でありながら井伊家の当主となり後に 直虎と名乗ったともいわれる次郎法師。 井伊家存亡の危機に領主の座に就いた次郎法師。

やっぱり いろんな人々を領国支配する訳ですから…その時に 男性が失敗をすると女性を蔑視する事によって心理的な均衡を保とうとするというデータがあって。 その中で…女性でないですという振る舞いを恐らく 心にかけて振る舞った人が次郎法師だったかなという推測ができますかね。 三河に 国境を接している井伊家が家康に下れば侵攻を許し今川の領国は崩壊しかねない。 徳川家康も武田信玄も今川の領国を虎視たんたんと狙っている。 特に 家康にとって 国境を接する井伊家が味方につけば遠江侵攻の足掛かりともなる。

「百姓を慈しみ感謝すればという事で 今川氏から命じられた徳政令を施行するのか。 この時 なぜ 今川氏真は徳政を井伊谷に出したいのかだけど 氏真は弱いから…もう骨折り損のくたびれもうけが重なってくる。 一つは 徳政を 今川家の国単位での命令として銭主自体がですね 井伊家とかなり密接に関わっていて今川から離れる準備をした方がいいという時にですねなるほど。

龍潭寺の債権や寺領には一切徳政令の効力が及ばない事を次郎法師が保障したものである。 井伊谷の龍潭寺も広大な農地を有し次郎法師を領主と定めた」。 次郎法師は 徳政令を先延ばしにしている間にこうした…反乱が起きていたのである。 すなわち領民たちは領主である次郎法師を飛び越え今川氏真に 直接訴えを起こしたというのである。 結果 2年にわたり徳政令を凍結した次郎法師。 徳政令施行後命令を先延ばしにした次郎法師は領主の座を追われ今川派の家臣がその権限を奪った。

「私が こんな文書に署名できる訳ないじゃない!」とか言って次郎法師の名が再び表舞台に登場するのは徳政令施行から7年後…次郎法師はある人のために小袖を仕立てたと記されている。 その人物こそ 次郎法師が手塩にかけて育てた虎松次郎法師の小袖を着た直政は家康と対面。 次郎法師が命を懸けて守った井伊家は江戸時代 譜代筆頭の大名となり彦根35万石の城主となった。 この次郎法師が 井伊家繁栄の礎を築いたという事だったんですね。