あの日 あのとき あの番組「転勤 そのとき家族は」

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この番組のまとめ

少子化 晩婚化で子どもの学校が一番大変な時期と転勤の多い時期と親の介護が始まる時期が一緒になっちゃうとこれは まさにね 人生設計をでは 番組をご覧頂きましょう。 実在の武士と その家族の転勤生活を描いた1989年放送の「NHKスペシャル 幕末転勤物語NTT大分ネットワークセンター。 この「柏崎日記」は桑名藩 今の三重県桑名市の下級武士であった渡部勝之助という人物によって書かれ上中下 3冊にまとめられています。

桑名藩は 柏崎に飛地領を持っていました。 この越後の飛地領から桑名藩11万石のうち5万石以上が賄われていた。 渡部勝之助は 年貢高をはじく勘定人として この地に赴任した。 勝之助には4歳になる長男 鐐之助がいる。 そして 勝之助の妻 おきくは8か月の身重。 渡部家に突然 降って湧いた柏崎転勤の話は桑名に置いていくか一家は思案に暮れた。 勝之助。 勝之助 ただでは渡さんぞ。 勝之助一行はようやく柏崎に着いた。 立ち並ぶ商家と港を見下ろす丘の上に勝之助の新しい職場柏崎陣屋があった。

運公?郷手代格です。 渡部勝之助です。 柏崎へは 足かけ4年目。 「帰宅するとおきく 部屋で泣いており『どうした』と申せば『鐐之助に会いたくて会いたくてならん』と涙こぼしおり候」。 勝之助が着任した柏崎陣屋は大きく様変わりしつつあった。 勝之助には 勘定人のほかに藩の学問所の講師の仕事も待っていた。 柏崎に来て 最初の冬を迎えた。 勘定人 渡部勝之助の初仕事はこれなんですよ。 勝之助が柏崎に転勤してくる2年前の天保8年柏崎でも 餓死者が続出した。

勝之助は 余った出張旅費を必ず返すなど 謹厳に努めた。 老中 水野忠邦は質素倹約を旨とする天保の改革に着手した。 物価の統制 ぜいたく品の禁止果ては 花火 夕涼み男女混浴の禁止など。 行財政改革も半ば 続く税制の改革に着手する事なく天保の改革は失敗に終わった。 女ふるまい? 子ども客?陣屋の奥様方やお子様たちをお招きしてのささやかなうたげでございます。 あなたが お仕事の おつきあいを大切になさるように私も 奥様方との おつきあいが大事でございます。

39歳になった勝之助に 柏崎陣屋でお役替えの辞令が下った。 「志田 高原殿などという抜群の人物を差し置き私のごとき大不調法者がいかなる訳にてかかる大役を仰せつけられ候や。 これで 勝之助も一安心じゃ。 鐐こ やめろ!やめなさい!桑名の兄 鐐之助の顔を知らない。 その日をもって勝之助の日記も終わった。 幕末維新の動乱を生き抜いたのは次男の真吾 ただ一人であった。 桑名藩主 松平定敬は幕府側につき柏崎の地で 徹底抗戦を唱えた。 柏崎陣屋は 大混乱に陥った。

慶応4年8月 真吾は父と祖父の日記を携えてここへ入ってらっしゃる桑名藩士の方は皆 ここへ転勤をしてこられて…。 1989年放送の「NHKスペシャル」幕末の武士の転勤生活早く帰りたいから仕事 頑張るんだけどそれが かえって任期が 延々 長引いていつ 帰れるんだ?恐らくね 「分かる分かる」ってうなずきながらご覧になった人多いんじゃないかなと思います。 やっぱり 本当に単身赴任をするか一家全員で行くか 本当にどうするっていうのをね夫婦や親子で話し合うって事はね改めて問い直す事だと思うんです。