ごごナマ オトナの遊び場「昭和XX年の裏にゅ~す」

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この番組のまとめ

全日本自動車ショウをなぎら真ん中に東京モーターショーとか…。 東京モーターショーの第1回目が第1回全日本自動車ショウです。 そもそも自動車ショウがなぜ行われたかこの方は発起人で当時メーカー広報だった片山豊さんです。 自動車メーカーが業界全体でPRすればもっと自動車が普及するはずだということです。 ドイツやアメリカでは自動車メーカーが共同で最新の技術やデザインを紹介するモーターショーが開かれていたのでそれにならって日本もやってみようというのが最初だったんです。

美保高級でタクシーにも乗れませんでした、普通の人は。 迫田第1回に出展されたのは乗用車僅か17台です。 トラックやオート三輪当時20万円台でした。 モーターコンパニオンの方たち。 コンパニオンです。 コンパニオン。 なぎらコンパニオンの方ですか?美保あのスカーフは、みんなやってましたよね。 美保スカーフが小さいんだよコンパニオンの。 第2回以降の歴代の昭和のコンパニオンの写真を集めました。 美保阿部ちゃんどんなのがタイプ?なぎら歴史があるの?美保あれ?八千草薫さんみたいな方が…。

美保万博のコンパニオンさんみたいな人もいましたね。 迫田コンパニオンは当初、アルバイトでやってらっしゃった方もいたんですが1964年から企業お抱えの専属コンパニオンが登場しました。 そこできょうは1983年に東京モーターショーに参加していた元コンパニオンの方と、お電話がつながっています生電話です。

あれだけお客様がいると中にはお客様から誘われたりとか美保はと?佐藤伝書ばとはなかなかなかったですけれども。 それはユニフォームですから嫌いじゃなくて着なければいけ佐藤ショーのときには必ずカメラ小僧という方たちが来てくれる。 佐藤撮られる方はなぎら女性どうしですからいろいろわれわれが仕入れないことで意地悪があったりそういうのもあったんですか?佐藤私はしてませんしされていませんけれども。 佐藤ユニフォームも隠しちゃったりとか靴の中に画びょうが入っていたりとか、漫画の世界本当にそういうことがありました。

ここで大きくプッシュしていますのが、なんといっても日本が誇る文化です。 日本のさまざまな小物やお土産品工芸品も扱っているんですよ。 お客様でごった返す中ですがフードホールということで全国各地から名店が集まりまして左右にずらっとのれんが広がっているのが分かりますか?地鶏料理とか、すき焼き和食の店といっぱいあるんですがのれんの中ではカウンターでコース料理を気軽に味わうことができるというわけです。

30年代のお二方にお聞きしますけれども、昔は路上でキャッチボールはいませんでしたか?壁に投げて自分で取ってバレーボールをやっています。 そういう光景が当たり前にあってその辺で車が行き交っているのにキャッチボールを平気でやっていてそういう光景が丸の内辺り至る所で見られたんですが今は全く見られなくて壁にボールを投げて遊んでいる子どもも今では見られなくなってしまったということなんですね。