あの日 あのとき あの番組「集団就職~ひよっこが描く“金の卵”たち〜」

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この番組のまとめ

昭和を象徴する一つの時代が描かれています40年前の集団就職列車を記録した番組。 この集団就職 始まったのが昭和30年ごろから20年ぐらい続いたんですけれども上條さんが 長野の高校を卒業して俳優を目指して上京されたのもちょうど その時代昭和33年ですね。 3月24日 夜 今年で最後となる集団就職列車が岩手県 盛岡駅から発車した。

それで 「うちの会社に是非採用させて頂きたい」とか「お世話願いたい」とか会社の宣伝に手を替え品を替えいろんな事ありましたね。 「将来 うちの幹部職員として海外に研修させてあげる」とかそれから 「将来は 支店を持たせてあげるから」とかそういうのがいろいろございましてね40年やら43年ごろの時代が 一番ピークだったと思うんですけどもね。 最後の集団就職列車は上野駅に到着した。 いかがですか?う~ん… 上野駅がね何か 胸を締めつけられるような感じがしますね。

当時 集団就職をしてた人たちがどんな思いで働いていたのかみんな いい子たちでね。 集団就職をしていた若者たちにとって5年間というものはどういうものだったのか。 神奈川県の自動車工場に就職します。 今度 神奈川県の木工会社に就職する事になりました。 今度 愛知県の紡績会社に行く事になりました。 5年前に 僕は この秋田県仙北郡千畑村という所へ来たんです。 明日 集団就職列車が出るというそういう時でした。

だって4年間 300万っていったら1年間で… 俺は頭悪いんだよな。 そうすると ひとつきで5万円以上 貯金していった訳?そうですね。 映画見たり パチンコやったりしなかった?たまには 行きましたけどね。 ただ いつもですね仕事で高いところへ 出前とか行った時にですね番号 始め!私は 武藤と申します。 体は このとおり誰にも負けないくらい大変 丈夫なんですけれども仕事の方といいましてはまだまだ未熟です。 安全の全ての基本である整理整頓は状況は どうですか?折から 安全衛生期間推進項目も今月から…」。

もう1万円は 貯金して。 それで 2年目 3年なるにつれて給料 上がっていってほいでもって だんだん貯金も たまってきて 車買った。 退職金 どのぐらいもらったの?15万。 退職金?そう 泣いたで 本当に。 もう少し 退職金…。 ほいで ガソリン2万円でしょ?月賦2万円でしょ?保険が1万ぐらいでしょ。 毎日 カップヌードル食べて…か~っ わびしい。 寮で 日曜日の度に カップヌードル。 だから伸びねえんだよ!そうだ 成長期にカップヌードルなんか食ってるから いけないんだ。

仕事!仕事?頑張った 本当に。 4年目になってからねやっぱり 多少 ちょっとぐらついた関係で辞めちゃったからしょうがないけどもあの3年間までだったら 本当にあの気持ちのまんまだったと思います。 銭とか そういうんじゃなくて私 コツコツ 金ためましたけどねそれも 確かにいい事だと思いますけどねやっぱ その分 私はねいろんな意味でこの彼なんかよりかね 青春…青春って言ったらいいんですかねやっぱり 損しましたよ。

今の時代でも 望むものと現実とのギャップに悩んでいる君らが自意識してるかどうか分からないけども君たちの土台はもう しっかり出来てんだから。 そして集団就職先で いろんな人と話した事がよかったって…。 今は 神奈川県で食品製造のお仕事をされています。 それから 集団就職で自動車工場に勤めていた 藤井 清さん。 3年後に帰郷して今は 秋田県内で鉄筋工として働いていらっしゃいます。 そして もう一方神奈川県の自動車工場に勤めていらした…現在も 自動車製造の仕事を続けていらっしゃいました。