実は 名古屋の町は 400年前徳川家康がつくったものなんです。 うん!実は ここに残るある貴重なお宝を見ると徳川家康が なぜ この台地に名古屋の町をつくったのか長い…。 今日も名古屋で「ブラタモリ」!♪「ハロー ハロー お元気?」♪「どこかへ一緒に行こう」♪「だからもうI love you so」失礼します。 でも 家康が台地に名古屋をつくったもっと重要な理由があるんです。 この道に沿ってさらに南へ向かうと家康が台地に名古屋をつくった重要な理由が分かるんです。
家康が台地の上に名古屋をつくった重要な理由それは 台地の南の端にあるこの港だったんです。 断層か!そんな濃尾平野の中で名古屋がつくられた台地は東側にあり大きな川がありません。 台地の岬のヘリみたいな所にあって…何か見えませんか?熱田の近くに。 熱田を名古屋の交易の港とする事で経済的な発展をねらったんです。 熱田の宿場町にはこのような旅籠が240軒以上あり東海道で一番の数を誇りました。 熱田神宮から旧東海道を通り熱田の港にたどりついた タモリさん。
家康が名古屋をつくった事でさらに繁栄したくさんの人が住むようになった熱田。 どうして この場所が少し上がっているんでしょう?実は この高低差も熱田の町が繁栄した痕跡なんです。 まず 台地の北側には 名古屋城。 そして 古くから台地の南にある熱田の町も さらに繁栄。 今も経済都市として発展する名古屋の出発点はう~ん。 お城の横から熱田までをつないでるような人工の川で堀川と。 家康は 名古屋城をつくり始めると同時に城から熱田の港をつなぐ運河をつくりました。 そうなんですこれ 名古屋港なんです。