宮瀧交二さんは大宮の歴史を研究して 30年。 というわけで始まりました 「ブラタモリ」!今回の舞台は埼玉県の大宮です。 そんな大宮は なぜ「鉄道の町」になったんでしょう?タモリさんが ブラブラ歩いて解き明かします。
大宮台地は 埼玉県内を南北40kmにわたって広がっています。 氷川神社は 台地と低地とのヘリの部分にあるんです。 そうですか!続いて向かったのは氷川神社の南側参道の入り口です。 参道は 氷川神社から南に向かって2km。 氷川神社と共に 大宮のシンボルです。 氷川神社。 何か 気が付きませんか?普通 ガソリンスタンドって どうです?道に対して幅広いですよね。 近江さん あの隣に白い看板ありますけど読めます?これ ガソリンスタンド そのまま屋号 使ってるんですか!ほんとですね。
江戸時代 どういう宿場町だったかという事が鉄道の駅が置かれなかった事とふか~く関係していたんですねぇ。 続いて タモリさん宿場町から再び氷川神社の近くに戻ってきました。 駅のできなかった大宮に なぜ駅がつくられたんでしょう?その事が分かる場所です!先ほど 氷川神社のところで「台地のヘリ」にあるという…。 明治24年帝大生だった正岡子規は大宮公園に滞在します。 という事は…これは昭和初期に描かれた大宮公園の様子。 タモさん そうなんです!ここは 氷川神社の森だった場所。
そのおかげで大宮は分岐点に選ばれ「鉄道の町」へ発展してったんですねぇ。 続いて タモリさんは線路をまたいで大宮駅の西側にやって来ました。 ここに 大宮を「鉄道の町」として不動のものにした場所があるんです。 ここは 大宮駅が開業して9年後の明治27年駅のすぐそばにできた鉄道整備工場です。 こここそ 大宮を「鉄道の町」として不動のものにした場所なんです。 タモさん 大好きな鉄道の整備工場に入れてよかったですねぇ!え? ああ。 新幹線の時代になり 大宮の「鉄道の町」としての地位はより不動のものになったんです。