まずは 藤がつく皆様名字人口ランキングのトップ100の中で挙げました。 藤のつく名字の元祖サマ!この中臣鎌足さんは亡くなってから藤原の冠がついたという。 その中で 鎌足の住んでた辺りが藤原っていう地名だったといわれています。 これをデザインしたのはイタリアの彫刻家エドアルド・キヨッソーネさまなんですけども。 藤原鎌足サマが亡くなっておよそ350年後のページを見てみると。 すっごい偉い人たちが藤原三昧になってるって事でしょ。
更に 不比等の子孫たちも都で増殖していき平安時代の中期藤原道長の頃にはそのブランド力は 最高潮に達したと。 「百人一首」はおよそ800年前歌人 藤原定家が鎌倉時代初期までの代表的な歌人100人の歌を選んだもの。 ウフフフ…!まあ さっき ちょっとね宮崎さん ビックリしてたけど「小倉百人一首」は 藤原の歌を争って 競って取っているとは思わなかったですよ。 榎村さんは 平安時代の貴族社会や藤原氏についてとっても詳しい方です。 平安時代の都が藤原サマであふれていた様子をボールで表現しました。
地方にひしめく藤原サマたちは地名の一部と藤の字を合体してお互いを区別するようになったのです。 内藤の内は内舎人プラス藤原の この内のウがナイというふうに読まれたと考えられています。 内がつくというのは天皇の身近に仕える秘書地名から転じて今度は 内藤さん関連で見ると「職業プラス藤原だよ」が合体すると内藤をはじめ何々藤になるっていう事なんですね。 内藤サマのように職業と藤原サマがくっついたものほかにもあります。
そして 斎藤サマのルーツは天皇の代わりに国の平和と五穀豊穣を祈る皇女斎王に仕える斎宮頭です。 当時としてはそういう中国風のものがとっても カッコイイ名字だったと言えると思います。 大体 平安時代の終わりぐらいから貴族というのは藤原という氏ではなくて継承していく 続いていく家に自分の名前を変えていくようになります。
アセトンっていうのは…何か 化合物自体も対称で きれいだし。 ベンゼン君です。 あだ名は ベンゼン君です。 何で ベンゼン君って名前かというと高校入試の時化学の勉強してる時ベンゼン環を 何度も何度も書いてたんですけどそうすると 何か 人の顔みたいに見えてくるんですね。 あと ベンゼン君もすごいわね。 藤の謎を追って たどりついたのは奈良県 世界遺産 春日大社。 春日大社の宮司の花山院です。 その中に 藤原氏の五摂家である近衛篤麿が明治14年に奉納した金色の灯籠があります。