森田福井さんは日野原さんの大学の後輩でもいらして日野原さんが勤めていらした聖路加国際病院の現在、院長でいらっしゃいますが医師としての出発点に日野原さんの影響受けられたということですね。
今月4日、100歳を迎えた医師・日野原重明さんです。 この日、診察したのはこうした処置が体力の維持につながる一方で福井さんの生きる力を奪っているのではないかと考えた日野原さん。
そうして彼女は自分一人で生活ができなくなった身体的な病気を僕は少しでも苦しみを取ってその彼女の純粋な気持ちがいつまでも残る事をね…。 ある日曜の朝、少女は嘔吐が続き血圧が下がったため個室の重症室に移された今日は午後からお母さんが来られる。 死ぬなんて事はないから元気を出しなさい!♪~初めての死亡診断書を書きながら、私は悔やんだ。 なぜ強心剤を注射するよりも彼女の手を握ってあげなかったのか終末期医療に関心を持つようになった日野原さん。
58歳の日野原さんはハイジャックされた飛行機に偶然、乗り合わせていました。 これからの私の人生は全て与えられた命なのです日野原さんに進むべき道を示してくれたのは妻・静子さんでした。 心配してくれた人たちに対して日野原さんが送った礼状に静子さんはある一文を書き添えました。 静子さんはそう、日野原さんに伝えたのです。 日野原さんは静子さんの症状が進んでからはあ~、もうここでね…。 日野原先生、目指して。 日野原さんは100歳を超えても働き続ける事で被災者たちを元気づけようと決意しました。
日野原さんの言葉に励まされたという患者さんがいました。 あ~、あなたここへ座っておられるの?大田さんの病室に日野原さんが診察にやって来ました。 日野原さんは大田さんに俳句をプレゼントしました。 日野原さんは仕事の合間を縫って病室に通い続けました。 日野原さんは迷っていました。 雅之さんを励ましたいと思っていた日野原さん。 ノートなんだけど、これ最後ちょっと、よく分からないのがあるんですけど、日野原先生へのお返しの句という事で最後がねちょっと、よく分からない。 日野原さんへの感謝の気持ちをつづっていました。
日野原先生の陽を受けてという事だと思いますものでめちゃくちゃ喜んでましたので「もらったのよ」という…。 今月4日日野原さんの誕生日です。 森田日野原さんは人生の終わりに「ありがとう」と感謝のことばを伝えたいというふうに「自分はそういうものは受けたくない」とおっしゃいましてそのあとは、約4か月間にもわたりますけれども一進一退はございましたけれども口から水分や栄養分を補って最期は、本当に静かにお亡くなりになりました。