BS1スペシャル「戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人の命を救った音楽家〜」

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この番組のまとめ

しかし 日野原さんは静子さんと2人で過ごす時間を何よりも大切にしてきました。 静子さんは 家庭で子育てと家事を切り盛りするだけではなくさまざまな活動を行う日野原さんの秘書の役割もそうして 彼女はね自分一人で生活ができなくなった身体的な病気を僕は 少しでも苦しみをとって夫婦を間近で見てきた眞紀さんは2人の関係は 目標を同じくする同志のようだと感じています。 日野原さんが その事を深く考える きっかけとなった26歳の時の事でした。

神戸での中学生への講演から帰ってきた日野原さん。 実は2日前 インフルエンザで39度の高熱を出していました。 自分には 社会のために働く使命ミッションが与えられている。 これからの私の人生は全て 与えられたいのちなのです心配してくれた人たちに対して日野原さんが送った礼状に社会のために生きるというミッションに気付かせてくれた静子さん。 2か月に及ぶ避難生活を送っている被災者たちの事が先生みたいに99歳までも頑張って…。

関西への出張を切り上げ 急きょ病院に戻ってきた日野原さん。 あ~ あなたここへ座っておられるの?大田さんの病室に 日野原さんが診察にやって来ました。 日野原さんは大田さんに俳句をプレゼントしました。 日野原さんは仕事の合間を縫って病室に通い続けました。 ノートなんだけど これ 最後ちょっと よく分からないのがあるんですけど日野原先生へのお返しの句という事で。 もう 日野原先生の陽を受けてという事だと思いますものでそれだけ感謝していたという事だと思って頂いたらありがたいと…。

日野原先生に「管を介した栄養分を補給するという事をされますか」という事をご家族立ち会いの下で伺いましたらはっきりと「自分は そういうものは受けたくない」とおっしゃいましてそのあとは 約4か月間にもわたりますけれども亡くなる数日前にはご家族も含めまして感謝の言葉を先生に 皆さん伝えてそれに対して 先生もうなずいておられるというそういう場面もございました。 日野原さんはお目にかかった時も「ミッション」っていう言葉今の中にも出てきましたが「使命感」という言葉を繰り返されておられた。