ブラタモリ選「#77 大宮」

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この番組のまとめ

こちらのパターンをご覧頂きたいんですけどもこれは 明治16年に上野駅と熊谷駅の間まあ 今の高崎線ですねそこに鉄道が開通した時の時刻表なんです。 でも 鉄道が開通した当初なんと大宮には駅がなかったんです!そんな大宮は なぜ「鉄道の町」になったんでしょう?タモリさんが ブラブラ歩いて解き明かします。 今日は大宮で「ブラタモリ」!♪「ハロー ハロー お元気?」♪「どこかへ一緒に行こう」大宮駅から15分ほど歩いた所にある 氷川神社です。 実は この神社で「鉄道の町」大宮が そもそもどういう場所なのか分かるんです。

何か 気が付きませんか?普通 ガソリンスタンドって どうです?これ ガソリンスタンド そのまま屋号 使ってるんですか!ほんとですね。 間口が狭く奥に細長い町割りは宿場町の特徴です。 一方 武士のための宿場町だった大宮は寂れてしまったんです。 江戸時代 どういう宿場町だったかという事が鉄道の駅が置かれなかった事とふか~く関係していたんですねぇ。 続いて タモリさん宿場町から再び氷川神社の近くに戻ってきました。

明治24年帝大生だった正岡子規は大宮公園に滞在します。 大宮公園には 教科書に出てくるような明治の文豪が数多く来ています。 実は この何の変哲もない住宅街でいよいよこの大宮が 今日のような「鉄道の町」になっていったのかその核心に迫っていきたいと思いますので。 鉄道博物館の副館長の荒木と申します。 旧国鉄に入社以来30年にわたって運転や技術開発に携わってきたバリバリの鉄道マンです。 当時の試算では大宮で分岐すると熊谷に比べて 橋の建設費はなんと半分以下。 それが決め手となり 大宮で分岐する事になったんです。