♪「次の電車が来るまで」この「100年インタビュー」で 小田さんにちょっと聞きたかった事のテーマが決して その栄光を… 順風満帆な人生ばかりではなかった。 まず 小田さんに降りかかった苦難といいますかいろんな中から これは大きいなと思うところでまず選ばせて頂いたのが1998年の自動車事故についてです。
まあ僭越ながら もし自分がみんなの住んでるああ グラウンド見えてきましたね。 思い出深いグラウンドへ一緒に向かいました。 小田さん 野球部所属で。 野球部ですね。 どの辺でした? 野球部は。 小田さんは中学に入ると野球部に所属。 そして 中学で聖光学院に入ると1歳上の兄の影響で海外のポップスを聴くように。 小田さんは ブラザーズ・フォアやピーター、ポール&マリーなどの美しいハーモニーに魅せられ自分でも演奏したいと思うようになります。 ゴスペルを アカペラで歌ったのよ何曲か。 ゴスペルを アカペラで。
翌年 大学在学中にオフコースは プロデビューを果たします。 70年代後半新たに加入した3人のメンバーによって本格的なバンド編成に生まれ変わるのです。 このヒットが続く状態っていう事のプレッシャーですとか その当時の心境って どうだったんでしょうか。 「これ ヒットしたから次も ヒットしなきゃ」っていうよく みんなが陥るところへは多分ね 陥ってないんだよね。 しかし この武道館のコンサートが5人での最後のステージになりました。
この出来事っていうのは小田さんにとっては相当大きかったという事なんでしょうか。 でも音楽はその 妥協点を見つけるわけにはいかないのが妥協点を探して活動していくんじゃない。 ここは 小田さんがソロ活動を始めてからよく利用してきたスタジオです。 小田さんはソロ活動を始めるとCMソングや ドラマの主題歌なども手がけるようになりました。 あのね 1人になってからこの「指示代名詞」っていいますか。 指示代名詞…。