いざ 災害が起きた時私たちにできることは何か?そして 東日本大震災の被災地に6年半たった今求められている事は何か?今日はサンドウィッチマンと一緒に考えます。 サンドウィッチマンのお二人は気仙沼をはじめ多くの被災地に足を運んでいらっしゃいますけれどもどんなお気持ちからなんでしょうか?どんな気持ちかっていうと僕ら地元が宮城県でたまたま あの日の3月11日に気仙沼にいてテレビ番組のロケをしていて津波が来た訳ですね。 今日は 被災地支援という事でサンドウィッチマンさんと一緒に考えていきたいと思います。
矢部さんは 女将を助けるために仲間とホテルに住み込みうん すごいね 矢部君。 そうしてたどりついた被災地気仙沼なんですけれどもサンドウィッチマンのお二人 実は矢部さんすぐ帰ってしまうんです。 それは もう その時は 僕の目で気仙沼の状況がある程度 もう把握できてたので仲間を集めてで 仲間と一緒に入ったんです。 国際紛争や自然災害で厳しい状況の人々の支援活動を行っている…もう 何でも知っていますから木山さんはね。
矢部さんの場合は この保険っていうのは ご存じでした?ネットで集めたんですけど逆に 僕のその ボランティア保険とかっていう僕自身に矢印が全く向いてなかったので。 3つ目 現地に着いたら災害ボランティアセンターへ行って下さい。 自分たちの交通手段ですとか食料でも何でも自己完結っていうのが大事だと思いますね。
子どもたちの音楽教育に力を注いできた宮城県仙台市のピアニスト庄司美知子さん。 この方の場合 半年たってのオファーだったという事なんですけどもサンドウィッチマンさんもお笑いで 被災者の方の心の…勇気づけてこられたと思うんですけれどもやはり 最初はどんなお気持ちでした?最初はね やっぱり こう…僕ら 活動拠点 東京ですから東京の周りの芸人にね「芸人なんだからでも やっぱり行くとね 状況が全然笑いを求めてる感じではない。
矢部さんは持っていた教員免許を生かして教科書や参考書を流されてしまい受験勉強も ままならない事を知った事でした。 じゃあ もう 今日も気仙沼から?そうですね はい。 オーストラリア行ったら もっと楽しかったかもしんないよ。 夢はあったの?僕は オーストラリアに移住しておっきい家を建ててのんびり暮らそうと思ってたんですよ。 じゃあ オーストラリアじゃないけど気仙沼 大島に…。 気仙沼ちゃんと一緒にさ。 大きなきっかけはあったんですか?この気仙沼で生きていこうと。
ボランティアに来てそのまま ずっと移住しちゃった人もいて。 サンドウィッチマンのお二人も義援金を子どもたちのために使ってもらうよう結構 もうあるんですよね。 この日は今回で 11回目の参加となる地元 茨城の高校野球部員をはじめ総勢34人が乗り込みました。 この日 まず 向かったのは宮城県石巻市の大川小学校の旧校舎。 ここでは 震災発生後道路脇に芝桜を植え今回は 祭りに参加し盛り上げようとしていましたが間に合いませんでした。
支援 支援っていう言葉を震災から1年ぐらいしたらあんまり使わなくなっていて支援というよりも気仙沼の高校生とか若い子たちと一緒にいい町を どういうふうにつくっていくかみたいな事を考えて ずっとやってたんですね。 それを ある方は支援と呼ぶかもしれないですしある方が 地域の町づくりって呼ぶかもしれないんですけど一緒に どういうふうに面白い町をつくりましょうかみたいな事を一緒に考えたりとかしてるんですね。 やっぱり 我々の学習支援に来ていた高校生とか中学生がどうなんですか? 恋愛の方は。