2組の姿から長寿社会の生き方を学びます俳優でタレントの毒蝮三太夫さんよろしくお願い致します。 下方先生は 医師という立場から老化ですとか 長寿についてどんなふうな人がどんなふうな病気になるのかあるいは逆に どんな人たちがいつまでも元気で頑張れるのかそういう研究を 長年にわたってやってきました。 こういう事がやっぱり 健康長寿の一番のひけつだという事が分かってきました。 それから 人を笑顔にさせてやろうというね俺たちタレントだったり 俳優だったりそういう気力ですね。
日本画の巨匠 奥村土牛さんの最晩年の創作活動に密着したドキュメンタリーです。 日本画家奥村土牛はこの春100歳を迎える。 土牛という名は画家としての出発にあたって父が付けた号である。 奥村土牛が描き出した富士は優しく 人を包み込むような富士である。 東京の下町に育った土牛は文楽や芝居そして とりわけ相撲が好きで相撲を見に行けない土牛の所に毎年 呼出の人たちが訪ねてくる。
だが 体力が弱った土牛には富士は遠い。 風呂から上がって すぐ隣の部屋に行くまでに提げている手拭いが棒のようになるのであるしかし 長い冬が明けると佐久の春は 見事であった黒沢家に 彼がここで描いた絵が残されていた。 土牛 50代の富士である。 今の父が どの富士を選ぶかどこからの富士を描きたいのかそれを聞き出すのは家族にとってもなかなか大変な仕事であった。 文楽人形を好む土牛のためにわざわざ大阪から訪ねてきてくれた人形浄瑠璃の一行である。
11月の深夜土牛は 都心の病院に入院した。 要は どこまで 大きく未完成で終わるかである奥村土牛さんはこの番組の翌年 1990年にすばらしい100歳の人生になったんですよ。 人生の目的意識っていうのがやっぱり 生きていく上でだけど 土牛さんは7歳とか4歳ぐらいからもう絵が好きで 京橋に生まれて。 でも 私たちの研究ではそういう人生の目的意識って一生 変わらないんです。