ごごナマ おしゃべり日和「植松努さん、茂木健一郎さん 衝撃のロケット開発秘話」

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この番組のまとめ

ロケット開発者植松努さんの魅力に迫ります。 今日のお客様でございますがロケットの開発をしていらっしゃる町工場の社長さん、植松努さん。 船越いつ飛んだんですか?植松2016年に実験をしたときに使ったロケットです。 植松さんのロケット作りがいよいよ始まりますが39歳、2005年のとき北海道大学と共同で始まりました。 船越今のVTRを見る限りは燃料の研究をしていてこの燃料があれば民間でもロケットが作れるかもしれないということを知ったときにすごくうれしくて。

阿部その後、植松さんロケット開発にあたってはいろんな難しいことは確かにあったんですね。 植松ロケットの開発をどうせ無理という言葉がなくなればいいと思ってやってるんですね。 植松さんの町工場、主力商品は何かといいますと解体現場で使われるリサイクル用マグネットです。 植松全国のリサイクルの仕事をしていらっしゃる方が僕らの製品を買ってくださってそのおかげでこういう宇宙開発ができていますね。

阿部続いてのどうせ無理乗り越えたもの。 町工場にはロケットの専門家はいなかったそうなんです。 植松さんの町工場は総勢20人。 阿部わたなべさんは、もともとロケットではなく自動車が専門。 船越工場の方々を見ていると意外な感じでしたね。 このとき、カプセルの中で何が起こっているのか?カプセルの中は無重力に近い状態になっていました。 船越つまり無重力状態を作るためのものということですね。 阿部技術力があったということですよね。

植松ロケットエンジンって燃やす試験をよくやるんですけどものすごい音なんですよ。 音を小さくするためにはロケットエンジンの炎の中に大量の水を吹き込むと、温度が下がって音が小さくなるんですね。 植松新しい研究そのものをやろうと思ったら実験装置がないものになっちゃいますからね。 植松失敗は、データなんだと。 船越そんな植松さんが失敗を乗り切るコツとして挙げていることがあります。

さらに部屋の奥に行くとなんと、そこはおびただしい数のプラモデルで埋め尽くされていました。 ちなみにプラモデルは同じものを最低でも3つ買うのが植松流。 植松子どものころプラモデルが禁止されたんですよ。 植松車でも飛行機でも人間が作ったものは形に全部、意味があるんですね。 例えば僕が飛行機を作りたいと思ったときにタイヤの太さはどのぐらいにしたらいいんだろうとか羽根の大きさをどのくらいにしたほうがいいというのは似たようなプラモデル見つけて寸法測って、拡大するだけです。 船越「紙飛行機集」。

植松飛行機やロケット両方やりたかったんだけどね。 飛行機とロケットが組み合わさったのを作りたいです。 植松学校とかに行くときは子どもたち相手にしゃべるときはだから、大人向けの講演を減らすための値段なのでまけてまで行く必要がない状態なのでだからそこで厳しくやってますけど。 ただ、飛行機とロケットくっつけたいと言いましたけどアメリカ行こうと思ったら12時間かかるんですよ。 という飛行機が作れるようになったら恐らくそれを利用する人が茂木こういう、質問の空気とか全く無視した独自のロジックの展開これがオタクのね…。

植松さん、ロケットへの挑戦もすばらしいのですがスタジオでのたたずまいもとても魅力的です。 阿部例えばどういうのを最近ご覧になりましたか?植松どっちかというと戦争ものの映画を見ることが多いんですけど。 その取り組みの1つが子どもたちに向けたロケット教室です。 植松さんの工場でロケット教室が開かれました。 年間およそ1万人の子どもたちがここでロケットを飛ばします。 さあ、ロケットが完成しました。 植松この間来てくれた大学生の女の子は私、不器用だから作れないって言ったからすごい飛んじゃうんです。

阿部この言葉を聞いて子どもたちの反応はいかがですか?植松いっぱい感想文を書いてくれる子がいるけどその感想文にはロケット作りたいとかいうのは車の安全装置を作っている人も助けてるしね。 阿部ロケット教室などいわゆる学級崩壊ですとかいじめがあるクラスの子どもたちも参加して変化があったそうですね。