集まってきたのは 6年前に原子力発電所の事故が起きた子どもたちと和合さんは 3年前原発事故で ふるさとを追われた小学生の言葉にならない思いを言葉にする授業に1年がかりで取り組みました。 思い思いの場所で 自分の原発事故の体験と向き合いました。 原発事故の時小学生だった子どもたちは中学 高校そして大学生になりました。 原発事故が起きた 2011年3月11日最初の避難指示が出ます。 4月22日初めて 放射線量などに応じた避難指示区域が提示されました。 その後避難指示区域は徐々に縮小され残りは帰れていません。
次に 大江真美子さんと横山和佳奈さんが原発事故の前まで暮らしていた浪江町を見ていきます。 原発事故から6年たった今年3月ようやく一部の地域で避難指示が解除され今 大江さんが暮らしているのは50キロ離れた福島市。 大江さんは去年福島市内の女子校に入学し大学進学を目指しています。 福島第一原発がある大熊町は今も 町全体が避難指示区域に指定されています。 原発事故のあと大熊町の役場と学校は西に 100キロ離れた会津若松市に機能を移し町民の多くも 移り住みました。 2人は原発事故の時 小学1年生。
こちらは浪江町の大学生 横山さんと広野町の中学生 猪狩君のグループ。 じゃ 最後にですね感想を伺っていいですか?その葛藤してる気持ちって何となく言葉にしちゃいけない気がして言えないんですけど。 宮城県 南三陸町の防災対策庁舎。 かつての中心市街地にあった役場の防災対策庁舎。 職員たちは 2階の放送室から住民に避難を呼びかけました。 当時 危機管理課の職員でした。 現在 建設課長を務めている三浦 孝さん。