ファミリーヒストリー「西田敏行~二人の母 二人の父〜」

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この番組のまとめ

あの時 なぜ母は自分を置いていったのか?そして あの日を境に親となった養父養母の思いとは?こんばんは! 「ファミリーヒストリー」司会の今田耕司です。 3家族にまたがる西田敏行の「ファミリーヒストリー」。 まずは 実母養母の三瓶家のルーツに迫るため敏行の故郷福島を訪ねます。 一体なぜなのか?三瓶家に残る長男甚助の戸籍にその理由が隠されていました。 福島県本宮市の教育委員会に残る衛生関係の記録です。 心機一転三瓶甚吉と名前を変えます。 後に 敏行の実母となる紀惠は郡山で一人の男性と運命的な出会いを果たします。

江戸時代 伯太藩は 大坂城を守る定番という重責を担い城内に屋敷を構えていました。 敏行の祖父 陳平は伯太村の村長を務めます。 大阪貯金局へ就職した泉は婚約者を連れて自分の実家へ。 昭和21年泉に 貯金局の辞令が下ります。 郡山貯金局の着任初日初顔合わせとなる朝礼の時の事。 「小学校の児童に将来の志望を書かせた際『郡山貯金支局長になりたい』というのが数名あったという事実は当時の今井局長の人気の程を物語るものでありましょう」。 東京育ちの紀惠は戦時中 父方の故郷郡山へ疎開していました。

養父の辰治から敏行は 西田家のルーツを聞いた事がないといいます。 その父で 敏行の曽祖父にあたる西田源左衛門。 福島出身の敏行は戊辰戦争で敵側だった鹿児島・薩摩藩の西郷役を引き受けるかどうか悩んだといいます。 その薩摩藩の古文書に敏行の曽祖父 西田源左衛門の名前がありました。 薩摩藩研究の第一人者県立図書館 館長の原口 泉さんです。 西田源左衛門が勤めていた…近代化を推し進める薩摩藩軍備部門の中枢として更に 今回の取材で源左衛門が暮らしていた屋敷の場所も明らかになりました。

映画好きの辰治の影響で敏行は 小学校の演劇クラブに入ります。 「俳優になりたい」と 敏行が両親に伝えたのは中学生の頃。 昭和38年 敏行は高校入学を機に母 美代と共に東京へ。 平成4年敏行の俳優デビュー25周年パーティーの一コマです。 その西郷役を敏行が27年前の大河ドラマ「翔ぶが如く」で演じた時西田家のルーツが鹿児島にあるとは本人は知る由もありませんでした。 今回の取材結果を受けて鹿児島の人々は?敏行との つながりが初めて分かった私と同い年でいらっしゃるんですよ。