厳しい練習を乗り越えたどりついたオリンピックの頂点でしたあの感動を もう一度。 今日は 改めて オリンピック パラリンピックの魅力に迫ってまいります。 皆さん よくご存じのようにお二人とも 元オリンピック代表選手でいらっしゃいます。 実際にオリンピックの舞台に立ってみてオリンピックどういうものでしたか?私 当時二十歳だったんですけども体調が あんまりよくなかったんですね。 だから初めての国際大会がオリンピックだったんです。 オリンピックに行くというとその注目度も全然 ほかの大会とは違ってくるんですよね。
高橋選手を Qちゃんと呼んでいる小出義雄監督はリラックスした様子にレースへの手応えを感じていました。 高橋選手と共に シドニーに挑む…「山口転倒!アクシデントですね」。 最初の給水ポイントで 山口選手が前を走る選手と接触。 沿道にいた小出監督は高橋選手に丸の合図を送りました。 高橋選手が 小出監督の下で走り始めたのは 5年前です。 まだ 無名だった 高橋選手に小出監督はあの子は 思ったよりも相手の事を考えてるね。 高橋選手は レースの前日 小出監督に一通の手紙を渡していました。
高橋選手にはその自信の裏付けがありました。 このあと 高橋選手は 軽快なピッチでレースを引っ張っていきます。 監督は やはり何回もオリンピックを経験していらして銀と銅は取っていらっしゃる。 先頭を走る 3人はアンザックブリッジに さしかかりました。 アップダウンが続く ここからが正念場です。 アップダウンがいよいよ始まります。 アンザックブリッジで。 30mの高さを 一気に駆け上がるアンザックブリッジ。 市橋選手が後れ始めた事を高橋選手は感じ取っていました。
高橋選手はサングラスを 突然 外しました。 スパートしたシーンですけど今のも 予定どおり?それが… 皆さんの夢を壊すようなんですけど実は サングラスは ずっと30km辺りから とりたくて探してた誰か いないかなって。
この時 高橋選手には力がありました。 小出監督や高校時代の中澤先生また シューズを作ってくれた三村さんそして お父さん お母さんと家族の方とかね 仲間たちというそういう人たちへ対するありがとうという気持ちが力になる選手なので今 一人で旅してますけれども決して 孤独ではないと思うんですね。 支えてきてくれた人たちを思い浮かべながら走る 高橋選手。 高橋選手のために素材や大きさを少しずつ違えたシューズを50足以上 用意して本番に備えました。
高橋 フィニッシュ 金メダル!「金メダルを勝ち取る瞬間。 しかし スタンドに小出監督の姿が見当たりません。 ゴールしてから10分後 高橋選手は小出監督の姿を見つけました。 監督から送り出してもらって監督のもとに帰れてようやく 私のこのレースは終わったっていうそういう安心感とやっぱり 一番聞きたかったのは監督の「ご苦労さん よくやったね」という言葉が一番 私の中で 一番うれしくてやはり 一番 監督に「お前は強くなったよ」とか何か 自分でも一番ホッとしてる顔してるって思います。
それが高橋さんQちゃんになってから「楽しい42.195キロでした」ってケロッと言えた あの笑顔でこういう余裕を持ってレースに行ける選手が出てくると3年後の東京オリンピックは女子マラソン また 復活しますよね。 その高橋さんの感動から 20年後東京オリンピック パラリンピックではどんな選手が感動を与えてくれるのか。