阿部船越さんは共演は?船越実は、ご縁がなくて共演はさせていただいたことがないですね。 「舟木一夫さん 山あり谷あり芸能生活55周年一気に振り返るぞSP」。 阿部気になるキーワードがいろいろと並んでいますが阿部まずは「いきなり山のてっぺんへ!元祖シンデレラボーイ」。 それで、基礎が大事なのでクラシックの先生にNHKの専属だった合唱団の僕の友達がガールフレンドと一緒に行こうと思ってジャズ喫茶の松島さんのステージのチケットを手に入れたんです。 阿部レコード大賞新人賞受賞さらには「紅白歌合戦」出場を決められたと。
冒頭でも少しご紹介しましたが実は、ほにゃららさんが舟木一夫さんだった?ということで本当は橋幸夫さんが舟木一夫さんだったという。 それで、橋さんにそれをつけようと思ってコロムビアのオーディションに橋さんを連れていったんですがご本人もおっしゃってますから言うんですけどオーディションに落ちたんですよ橋さんが。 それで、舟木一夫という名前はそこで浮いちゃったわけです。 なんでかというと遠藤先生はコロムビア専属ですからコロムビアの歌い手以外にはつけられないわけですね。
上田君、これね俺、こんなに早く売れちゃってねその月給が一番最初なんです。 舟木もう、自分が危ういなと思ったのは24~25ですね。 美保学生服からイメージを変えるというかこのパネルはスーツ着ていて大人の雰囲気になってる感じですもんね。 そうじゃなくて自分自身に刃物が向いてくるわけです。 タクシーに乗って声で、どこそこ行ってくださいっていうと舟木一夫さんですかって言われるわけですよ。 それから、学生時代に友達が「学園広場」を一緒に歌ってて、そいつが病気で亡くなりましてねとか話を聞かされてそっちが痛いわけです。
船越自分自身を改革して来るべき30周年に向けての舟木だから、同世代のほうしか向くのはよそうって決めたんですよ。 ですから、いったん自分はこうなったけど今の自分で出て行くならなんなのかということになったらやっぱり、映画とかの軽音楽って同世代のものがあるじゃないですか。 船越今、48歳って出ましたが見事にご自身が設定された年齢でご自身の思ったとおりの大復活が行われたわけですね。
船越ご自身の中で御三家じゃなくて本当はこんなふうに呼んでくれたらいいのになんていうのは?舟木三羽がらすがいいですよ。 あんまり自分に決め事をしないで仕事も、こういう仕事も含めて舟木あの当時の詰め襟着てる当時の舟木一夫って一見まじめそうで近所の評判もよさそうで。 舟木事実、評判はよかったみたいなんですよね。 舟木パッパラパーってことでしょうね。 舟木だから、仕事でもなんでも自分に10%の負荷は多めにかけて。
舟木コットンの世界からシルクの世界へステージ衣装に替えてすっといくというのが僕らが、例えば仮に10時ごろの出番だとします。 僕は今でもこういう景色が好きで舟木聴かせようとか聴いてくださいというスタンスばかりじゃだめなので1つの空気の中へ早くお客さんと入るということも必要ですからね。 阿部ちなみに、プレゼントはどういうものが入ってるんでしょうか?舟木それは千差万別です。 舟木流行歌も、あれは僕はだめだと思いますよ。 これは舟木さんのコンサートでは恒例のファンサービス。
阿部デビュー当時の大河ドラマでは矢頭右衛門七役でしたけど今回は大石内蔵助ということで。 初めて時代劇をやったのがNHKの「赤穂浪士」。 それで、55周年で73に、もうなりますけれどもそこで言ってみれば舞台の時代劇の総集編みたいな感じで「忠臣蔵」の大石をやらせていただけるのは本当に、ありがたいというかね。 さて、今週の土曜日に東京オリンピック開幕のちょうど1000日前という節目を迎えます。 そこで東京オリンピックと関連するイベントが開かれていましてそこに稲塚アナウンサーが行っています。