秋のお祭りの時高校生の高橋さんは友達と一緒に ここで歌いました。 高校ぐらいから?それは 考えてたのは小学校の時から考えてました。 小学校までは 目立つタイプではありませんでした。 女子たちは そのアニメを毎週 楽しみで見てで 学校に来たらその話をするんですよ。 その絵っていうのが自分が アニメの中のユウよりもかっこいいって言ってもらってる絵とか空飛んでる自分の絵を描いたり何か 手から ビーム放ててたりとか人を助けたり必要とされたりしてる絵。
応援人みたいな人を連れるんですけど元生徒会長とかを連れるんですよ。 2人で一緒に 「彼なら大丈夫だ」とか やるんですけど僕の事 いいって言ってくれる先輩いなかったから同級生の かっさんっていうやつ連れてそれで 2人で ヒゲダンスで走ってたんですよね ずっと。 それしか?マニフェストは示さなかったんですか?マニフェストは ただ この学校を楽しくしたいっていうだけ。 生徒会長挨拶とかも 何かアントニオ猪木さんの ものまねして「いくぞ~!」とか言ってたんですよ。
だから この秋田県横手市山内で生まれてなければ今の両親に生まれてなければ今 僕と友達になってくれてる人と出会わなければどれか1個 欠けても僕じゃなかったと思います。 高校卒業後高橋さんは 秋田を離れ札幌の大学に進学。 …っていうのもあって学校の先生だったり両親だったりが普通になんなさいってそこを押しつけてきてるような気がして もう 居心地悪くてしょうがなかったですね。 高橋さんは 大学卒業後も札幌で バイトをしながら音楽活動を続けました。 札幌に行っても僕 秋田弁 抜けなくて。
毎年 県内各地を巡って秋田を明るいムードに変えていきたいと考えたのです。 でも そうじゃない ふるさと今の秋田県ではない秋田県が来年 再来年 あるかもしれない。 秋田に住んでると暗い話題が いっぱいあるからもしかしたら このまま負けて終わってしまうかもしれないっていうムードって意外と 飲み込んでるのって自分たちだったりしてて。