万千代!家康の命を狙ったのは岡崎の近藤武助。 岡崎に厳しゅうはございませぬか!そうじゃ!鎮まれと申すに!じゃが この沙汰は 口惜しい。 やりましょう! 殿!やりましょう!この後 信康率いる岡崎勢は幾多の合戦で勇敢に戦い信頼の回復に努めお許し願えませんでしょうか。 それがしなどに務まるのでしょうか?岡崎にとってその いささか 戸惑う出来事…。 しかし 私も 田中城以来岡崎で あまり よう思われてはおらぬのでは…。 瀬名様が 信康様の側室を探しておられるそうで井伊谷に よい女子はおらぬかと。
それで 信康様が武田と通じておるなどと認めたのですか。 信康様を斬るなどと請け負うてきたと申すのですか。 しばしの間 御自らは岡崎へそして 信康様は 浜松へ。 そうする事で浜松と岡崎の垣根を取り払い家来たちを岡崎城下に戻してやりたいと。 殿は 信康様を第一に考えていらっしゃいます。 織田は 信康様に殿と同じ 従五位下を与えてやると言うてきたと。 長丸様が お生まれになったこの折に乗じ恐らく 信康様を手なずけ自分の手駒になさろうとされたようですが賢明な信康様はそれをご辞退なされた。
大方様の兄 水野殿が武田と通じたゆえに殺せと織田から言われた話を覚えておるか。 結局 織田に逆らえず我らは 大方様の兄上を切った。 是非 是非 お願い申しまする!これ 数正!若!武田と内通したる廉にて信康様を大浜城へ幽閉した上死罪とする事となった。 徳川家康の母 於大の方は岡崎城で 家康を出産しました。 洞雲院には 家康の無事を願い自らの血を薄めて行った写経が残されています於大は 人質となった家康に衣服などを送り音信を絶やさなかったといいます。