今は フランス・オルセー美術館の至宝となっている ゴッホの名作も松方のコレクションだったというのです。 国立西洋美術館では2,000点に上る松方コレクションの全貌を探ろうとプロジェクトを立ち上げ 行方不明の作品を捜してきたのです。 松方コレクションを収めるため新たにつくられた西洋美術館は優れた芸術作品を受け入れるのにふさわしい 立派なものです。 第2次世界大戦後にフランスから日本に返還された380点をもとに誕生した美術館。 この ロダン美術館に 松方は手に入れた作品の一部を預けていたといいます。
船が欲しいやつはどんどん出てくるはずだ第1次世界大戦 真っただ中のロンドンに社長室を移し高級アパートで1人暮らしを始めた松方。 ポスター1枚が 軍団1つに匹敵すると言われるほどの力を持つブラングィンだがなんと 若い頃は船乗りだったというではないか「労働者たちの絵を見てごらん」ブラングィンはそれまでの画家が描かなかった労働の現場をつぶさに見つめていました。 ブラングィンとつきあい何度も語り合ううちに松方の 絵画への関心は深まっていったのです。
第1次世界大戦後は神戸とヨーロッパを往復し美術品を集めていました。 初代社長を務めた川崎造船所が今も操業を続けています。 神戸の町は 1902年に 松方が船のドックをつくった事から大きく発展しました。 松方は ヨーロッパから帰国後当時としては 画期的な働き方改革に取り組みます。 松方は日本で最初の潜水艦そして飛行機の製造に乗り出す一方社員の教育に一段と力を注ぎました。 会社を残す事と引き換えに松方の財産は差し押さえられました。 61歳だった松方は 家を失い知人宅を転々とするようになります。