関ヶ原の戦いのあと家康が この城を任せたのが徳川家の重臣 井伊家でした。 どなたですか?石田三成の。 あっ 石田三成の。 始まりました 「ブラタモリ」!今回の舞台は…町のシンボルは 江戸時代につくられた姿が今も残る…琵琶湖に面した 井伊30万石の城下町として栄えました。 今日は彦根で「ブラタモリ」!♪「ハロー ハロー お元気?」♪「だからもうI love you so」♪「I’d love to beback in your heart」内堀です。
塞いであるのが実は 彦根城の特徴になりまして。 それが彦根城の本当の姿だったんですねぇ。 その理由 天守の最上階からの景色を見れば分かるんです。 彦根を通らざるをえないため人の行き来や物流を一手に押さえられるとってもイイ場所だったんです。 そう! 松原内湖に集まった彦根の繁栄を支えたものそれは 大量の年貢米でした。 実は彦根藩のある近江国は戦国時代 米の収穫量 全国2位。 「御赦免下しよかれ候ようにはい だめなんですね。 でも 今も 花本家代々続いてますからなんとか ふんばったと…。
しかし彦根では一戸建ての屋敷に住むという特別な待遇を受けていたんです。 じゃあ 足軽なのに…だから 彦根藩の場合は…しかし 江戸時代に入って間もなく戦乱の世は終わり長い平和が始まります。 あれほど優遇されたのに彦根の足軽たちが活躍する機会は失われてしまいました。 平和な時代の足軽の仕事って一体 何でしょう?ええ…。 ここには 平和な時代を迎えた彦根の町が生み出した伝統産業があるんです。 彦根仏壇事業協同組合 理事長の宮川孝昭でございます。