今年 2017年は日本を代表するグローバル企業の経営危機や不祥事が目立ちました神戸製鋼をはじめ次々と発覚した…高品質で安全安心と評価されてきた日本の ものづくりに対する信頼を揺るがすような事態であり極めて遺憾であります。 小説のですね 取材でこういった不祥事を起こした会社の事を調べてみますとねまあ ほとんど 全てが内部告発従業員さんからの内部告発でこういう不祥事が明るみに出てる訳ですよ。
この資料の中の本田さんの言葉と井深さんへのインタビューを基にして2人の対話を再現しました。 会社創立の目的は自由闊達にして愉快なる理想工場の建設と 日本の再建。 本田さんが戦後 最初に作ったのは自転車にエンジンをつけた 通称 バタバタ。
本田さんは このジュノウ号で 劣勢を一気に挽回しようとしました。 今や 日本企業の真価が問われているのだ!優勝を目指し 精魂を傾けしかも 優勝すると宣言してしまったのです。 優勝宣言から7年後。 世界で初めて 全クラス 完全優勝を成し遂げてしまったのです。 同じ頃 井深さんはトランジスタの大量生産に成功していました。 これが 井深さんが作った日本で初めてのトランジスタラジオです。 そう言わんばかりの通産省に本田さんは かみつきました。
うちがやるとね大きな メジャーな会社が一生懸命 後を追っかけてねあらゆる製品ですよトランジスタラジオだけじゃなしにねやって来ましたから確かにモルモットの役割を果たしてね。 甘んじてモルモットの名前は 受けましたよ。 意気に感じた社員が金のモルモットを 井深さんにプレゼント。 モルモットなんて 人間の勝手で注射されたり変なもの 食わされたり都合のいいように試されているだけのもんだろ。 「日本よ モルモットの後を早くついてこいよ」と。 冗談じゃないよ モルモットどころかパイオニアなんだよ!」。
中嶋選手は本田さんのエンジンで育ちました。 26年ぶりの本田さんのエンジンの音が中嶋選手の体に響きます。 昭和48年 本田さんは突然の社長引退宣言で世の中を驚かせました。 引退のきっかけになったのはエンジンの方式を巡る若手技術者との意見の食い違いでした。 本田さんを説得できなかった技術者は 辞表を提出。 本田さんは 45歳の若い技術者を次期社長に指名してこと 技術についちゃ社長も社員も ないんだよ。 社長を引退して以後 本田さんは会社に出る事はありませんでした。
「ミスター 本田は高性能エンジンの代名詞」と最大級の賛辞が添えられていました。 本田宗一郎さんは息を引き取りました。 井深さんにとって本田さんに感心させられた最後の大事件でした。 本田さんのスケッチブックには名もない草花や ふるさとの風景。 だから 在庫たまってるんだからなんとか 売りさばけとか もっとコスト削減しろとかっていう話になると思うんですけどそれを みんな 世界一の技術日本一になるためには世界一にならんじゃ駄目なんだとか言いながらですねマン島のレースに出て7年間ですよ 7年間やって完全優勝する。