阿部デューク・エイセスの皆さん、62年間解散への思い、どういうことで至ったんでしょうか?谷さん。 阿部解散後もデューク・エイセスの名曲の数々は歌い継がれていきます。 阿部結成当時からのメンバーは谷さんだけということに…。 どんなお気持ちでデューク・エイセスの看板を背負ってこられたんでしょうか?谷僕なんかのエージは軍国少年というやつで音楽の授業も軍歌ばっかりで。
阿部活動当初、皆さんアメリカンポップスですとか黒人霊歌を、それこそ全国のアメリカのキャンプを巡って歌ってらしたと。 船越観客の皆さんが育ててくれるという感じがベースキャンプにはあったんですね。 谷気を遣ったりね義理人情の世界は入り込まないところですからね外国のキャンプの中の阿部槇野さん目立ってましたね。 阿部当時は、歌謡曲とか演歌の人たちが多い中でものすごく新鮮に受け止められたんじゃないですか。 船越「紅白歌合戦」でジャズを歌うっていうのは当時は大変な出来事だったんですよね。
阿部あとからお入りになった大須賀さん、岩田さんはその名を不動のものにした皆さんなんですがイラストレーターの。 阿部和田さんデザインだけじゃなくて日本語の歌詞をつけて歌ったりとか、いろんな実験的旺盛にしていただきました。 大須賀まあ、そうですけどねあの歌は、和田誠さんが企画したジョギングコンサートっていうのが、ふだん歌わない歌をデュークのレパートリー全部やろうという本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
船越僕たちも作詞が、永六輔さん作曲が、中村八大さんです。 阿部デューク・エイセスの皆さんの62年の歴史の中には大きな悲しみもありました。 谷この前は吉田一彦と会いまして阿部大須賀さんと岩田さんは改めてデューク・エイセスというグループに参加されたことどう思ってらっしゃいますか?大須賀グループとしては解散しますけれどもやっぱり先輩たちの気持ちもあれしてこれからも楽曲を歌い継いでいきたいなと思います。 阿部視聴者の皆様からお便りもたくさん届いておりましてご紹介いたします。
阿部それから…南極観測隊の13次隊の隊員の方。 今から45年前のことですがデューク・エイセスさんには大変お世話になりました。 というのもデューク・エイセスさんのレコードを毎日聴かせていただきました。 東京都30代女性の方。 デューク・エイセスの皆さんにメッセージはありますか。 船越デューク・エイセスさんの歌に育てられ歌にかわいがられて今日まで、僕たち頑張ってこられたようなそんな思いが本当にしています。 阿部デューク・エイセスの皆さん、本当にありがとうございました。