トシの父親は幕末 薄井本家の総領だった薄井友衛門という人物でした。 薄井友衛門にまつわるものが僅かに残されていました。 改革派と門閥派って 短いスパンで江戸末期は 実権を握る人たちが変わっていくんですけれども実権を握った方の派の人たちがそうでない人たちを 打ち壊しをしたりという事件が起きています。 藩に 何千両もの大金を献金し栄華を極めていた薄井友衛門の一族でしたが持てるだけのものを持って逃げるしかありませんでした。 薄井友衛門の次女トシ。
歌舞伎作者 河竹黙阿弥の弟子だった傳太郎でしたが師匠の死後は やや格が落ちる芝居小屋で仕事を始めます。 その父親は 日本映画の父と呼ばれた 牧野省三。 ここが 代々続く藤野家。 現当主で神職を務める藤野清臣さん。 斎から数えて 4代あとにあたる清臣さんが出してくれたのは藤野家の家系図。 戊辰戦争で官軍に加わって戦った山国隊。 山国隊が訓練を受けたのが鳥取藩でした。 義太夫とは 人形浄瑠璃から語りと演奏だけが独立したもの。
ここ等持院にはマキノ省三が立ち上げた映画会社の撮影所がありました。 これや!映画に 独自のスターが必要だと気付き自ら役者を育てたのもマキノ省三でした。 初の映画スター 尾上松之助に始まり阪東妻三郎千恵蔵に右太衛門次々とスターを生み出しました。 そして マキノ映画の看板女優となったのが四女の恵美子。 映画監督の中島貞夫さんはマキノ雅弘の助手を務めていた時マキノ雅弘は 10代後半になると父 省三から役者だけでなく監督業も学びます。