いつか来る日のために 証言記録スペシャル「震災7年 気仙沼の“あの人”は今」

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この番組のまとめ

宮城県の最北端に位置する気仙沼市。 魚市場全体の水揚げも最盛期の7割まで回復しました。 気仙沼を支えてきた 海の男たち。 もう たまたまあの日 あの時間にですねもう 気仙沼の海の目の前にいて地震に遭って 高台に避難して無事だったという。 今日は 気仙沼ご出身の生島ヒロシさんにもお越し頂きました。 仙台出身のサンドがあの日 気仙沼にいて気仙沼出身の僕は あの日仙台にいたんですよ ちょうど。 今日は7年たって 今 気仙沼どんな現状なのか見ていきたいと思います。

今日は 明治大学特任教授の中林一樹さんにも阪神大震災の市街地の復興というのは被災した市街地を復興するだけだったんですね。 ですから 一番早いところは震災から 11か月後にもう事業が決まって事業に着手するという事だったんですけども東日本の場合は 津波災害でした。 今のお話で 津波被害からの復興が難しい理由分かったんですけれども復興のスピードというのは地域によって違ってくるんですね。 一方で 鹿折地区というところは70% 復興が進んでいるんですね。 ここの鹿折地区で 震災後ある方を取材していました。

チラシを配りに向かったのは近くにできた災害公営住宅。 仮設住宅は 隣の声が聞こえるとかプライバシーがないとかですがあの 鉄のドア開ける災害公営住宅に入ってしまうと逆に何にも聞こえないという事で。 かつ あの区画整理で鹿折は新しい町になって従前の自治会とか コミュニティーはもう全く なくなってしまったという状況だと思うんですね。 そこは 災害公営住宅がやっとそのころに供給され始めた。 それは仕事の場というのは高台ではなくてあの津波でやられた中心市街地にあるんですね。

今年期待しているのは この市街地の復興感というのはもうちょっと上がるんじゃないか。 内湾の そのグランドデザインの中に学校が出来る事になりまして。 実は 気仙沼の人口というのは震災前と比べておよそ1万人 減っています。 気仙沼で 130年続く菓子店の5代目…地震が起きたのは窯から 焼き上がったばかりのカステラを取り出している時でした。 元の店から 1キロほど内陸に新たな店を借りて小山さんは 父親と一緒にお菓子作りを再開しました。 お店が コヤマ洋菓子店。

イチオシは何ですか?僕は好きなの「はまぐりもなかくっきー」というのが あるんですけど。 気仙沼で イチオシですよ これ。 これね 我々も いろんなものもちろん 食べてきてますけどこんな食感は初めてです。 ねえ 食感初めてですよね。 気仙沼の人 こんなにいいもの。 地元の人にも 「もう番組でね紹介させて頂きますからどんどん 私を利用して下さい」と言ってるんだけどね気仙沼からね 誰一人 来ない。 おそろい!生島さんのイチオシが…。 もう ふかひれといえば気仙沼。

うちの息子も頑張っておりますけれども気仙沼には 若い力がたくさんありますのでね皆さんに ご紹介したいと思っております。 仮設住宅は出たものの移動手段がないため佐藤さんは 中学を卒業後東京で 女優を目指しアルバイト生活をしていました。 気仙沼に とどまる事にした佐藤さん。 ボランティアがきっかけで 移住し気仙沼を盛り上げる会社を立ち上げました。 ベテラン漁師 佐々木夫一さんは加藤さんの企画に賛同し外から来たからこそ分かる気仙沼の魅力を加藤さんは発信し続けています。

一番最初 やった時は高齢者向けではなかったんですよ。 最初から手伝ってくれていたのはおばあちゃんだったんですけどやっぱり 高齢者しかいないんですよね あんまりね。 その高齢者の人たちに向けてできるものがあると違うのかもしれないなというところから。 それで じゃあ高齢者に対してって決めたんだ。 頑張れ 春佳!つまり 高齢者に声をかける。 高齢者と一緒に お弁当屋さんをどんどん広げていや さっき食べたのよ。