あの日 あのとき あの番組「球児たちの名勝負~夏の甲子園“100回”への軌跡」

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この番組のまとめ

選手一人一人が死力を尽くした闘いは球児たちの全力プレーが生み出す名勝負 そして感動その歴史には 数多くの忘れがたい選手たちが登場しそして やはり 大の野球ファンでいらっしゃいますご自身も高校球児でいらしたという伊集院光さんです。 伊集院さんは どんな高校球児でいらしたんですか?いや もう…あの映像見て 高校球児ってちょっと恥ずかしいんですけどもまあまあ 弱小も弱小の学校でベンチ入りできたらいいなぐらいの選手の上に僕 高校中退しちゃってたんで。

平石は なんとか松坂攻略の糸口を見つけようとキャッチャー小山の構えに目を凝らしていました。 行け行け 行け行け!行け行け 行け行け!自分の配球ミスというか自分のせいでバレてるので松坂自身が打たれてる訳ではなく自分のせいで打たれたっていう事…。 古畑の脳裏をよぎったあの時とは春のセンバツ準決勝相手は 同じ横浜。 そして キャッチャーのミット目がけて スライディング。 古畑は キャッチャー石橋が構えたミットとは違う所に球を投げていました。

同点で9回裏 ランナー 一塁三塁ピッチャー 松坂。 初球外した! これがワイルドピッチになった!サヨナラ! 横浜商業サヨナラ!なんという幕切れだ!独り相撲を取りがちだった松坂にとって忘れられないワイルドピッチでした。 「PL学園のキャッチャー声を出して 元気でいこうと思ってたんですけど試合が始まったら… 声が出なかったんです なかなか。 田中は 練習試合ももう 自分は投げた事ないですし公式戦も出た事ないですし初めてが 甲子園っていうんでどうなるのかなって思いましたね。

クロスプレー!あ~ ボールを落とした!横浜 勝ち越し!代わったばかりの田中のミットから延長11回裏松坂は この試合 初めてリードしてマウンドに登りました。 PL ワンアウト 二塁ランナーは途中出場の キャプテン 平石。 前の日の試合でも148球を投げた松坂を連投の疲れが襲っていました。 さあ 勝ち越しのランナー 松坂。 ベンチに入れなかった選手も松坂を見守っていました。 だから 13 14 15の0点っていうのは自分の中で すごい松坂とライバル意識を燃やして上重は 左手に大きなダメージを受けていました。

また ダブルプレー!この瞬間 上重は痛みを忘れて飛びついていました。 横浜の攻撃 ワンアウト 満塁。 控え選手だった田中はこの時 スクイズを外すサインを知りませんでした。 スクイズがあるかもしれないからどうしますかって言いに行ったんです 上重さんに。 一塁とホームでダブルプレーになればそのまま試合終了です。 上重さんが 一生懸命一人で投げてる訳ですからなんとか 自分たちも頑張って1点取ろうっていう執念が ああいうプレーにつながったんかなあっていうのは 思ったんですけど。

松坂を支えたキャッチャー 小山良男。 2週間前の開会式 選手宣誓小山は このグラウンドでこう誓いました。 そして 決勝戦松坂のノーヒットノーランで春夏連覇を成し遂げました。 20年前の夏の甲子園横浜とPLの 3時間37分の激闘の記録でしたけれども。 もう 何か 本当に結果分かっていても何度見ても 息をのむしやっぱり あの今日 VTR 見させて頂いて自分が知らなかった事もあったりとかしたんですね。

で あれから20年たって現役でいるのは横浜DeNAベイスターズの後藤武敏選手と中日ドラゴンズの松坂大輔投手。 伊集院さんは 松坂投手に今年2月ですかインタビューもされた…。 三塁を回った!バックホームの送球は駄目サヨナラ勝ち!再試合目前で激闘を制しました1996年の決勝戦松山商業は 犠牲フライでサヨナラ負けの大ピンチ。

そう思うと 観客とか応援団の空気感でプレー1つであったりとかに影響もあるのが高校野球かなっていうのは思いました。 彼らは 多分 小学校で一番 野球がうまくて町で一番 野球がうまくてで 名門校に来て名門校に来たからでも その名門校でも十何番目の選手だから控えの背番号 もらってるのに自分は下手だと思ってやっている。 100回記念 8月の5日開幕で史上最多の56校が参加をするという事なんですけれども今 この瞬間も全国各地の球児たちがそこを目指して頑張ってる訳ですよね。