今日はね 何で江戸時代に魚河岸の場外に屋台が建って余ったすしのタネを酢飯で 腐らないように酢を入れたもので握ってっていう何で あんな元祖ファストフードみたいなものがどうして全国津々浦々 こんなに定着したのかっていうのはおすしのネーミング探っていくと分かっちゃうんですよね。 じゃあ何でこんなに漢字が生まれたのかを江戸時代に遡って調べますとすしが 国民的人気食になった理由が分かりました。 食文化に関する古文書を1万点以上集める江戸の中期 すしは こうした露店などで売られていました。
これは目の前にある……という事は明治時代のおすし屋さんはこの司にあやかろうと当て字を思いついたのでしょうか?その証拠となる伝承が浅草にある 江戸時代創業のおすし屋さんに受け継がれています。 司の字を当て寿司には宮中御用達に匹敵する品格が加わります。 この「寿司」という漢字が生まれた江戸時代は偶然 当ててまう事ある。 マグロには全然なじみなかったですか?でも 漁師さんのお手伝いしてマグロをさばくっていうのをやってみた事あるんですけど全然 さばいた事なくて大トロの部分を一番最初に切って…分かんないんですよ。
アブやダンダラをトロと言いかえた安達さんのネーミングの威力はどれほどのものなのか。 トロ それは 一人のお客が付けたという名前が舌触りをめでる日本人の心を捉え言いづらい また。 すると長谷さんが見せてくれたのは…大正時代 おすし屋さんは出前などを通じ芸者たちのお座敷に出入り。 教えてくれるのは昔の花柳界に詳しいもと芸者さん。 当時 一番の人気だった六代目 尾上菊五郎もその一人。 そう おすし屋さんが使う花柳界の呼び名は 当時…あららららそういう事だったんだ。