けんさんの父志村憲司。 知之さんは父の憲司から「この志村家は分家である」と聞かされています。 「武田家と志村家は何らかの関係があったのか?」。 新たに徳川の家臣となった中には志村姓の武士が多く含まれていました。 志村又左衛門。 その後 徳川に忠誠を誓った志村又左衛門。 更に平山さんは 武田家滅亡の後徳川と敵対する北条家に仕えた別の志村姓の武士がいた事にも注目しています。 これら 関東へ向かった志村一族が志村けんのルーツなのか?この 名主 作右衛門はけんの志村一族の先祖にあたる人物です。
ちなみに この試合で憲司が引き分けた 吉松義彦は昭和14年 豊島師範学校を卒業し無事に教員免許を取った憲司。 教師となり 初めて赴任したのは武蔵村山の大正尋常高等小学校。 尋常小学校を卒業後家事手伝いをしていた和子。 自分に厳しく 立派な教師になろうと努力する憲司は和子の周りにいないタイプでした。 憲司もまた 自分にはない明るさを放つ和子が気に入りました。 憲司が 豊島師範学校で取得した教員免許が問題でした。 当時 妻和子との間に二人の子どもが生まれていた憲司。
家族は誰一人 けんがドリフターズに付いていく事を芸名は 父憲司の名前を取って「志村けん」にしました。 東村山でしか知られていないご当地音頭。 けんといかりや 2人の掛け合いで「東村山音頭」を披露します。 お前はいいよ!♪「東村山」ララララ~!やめろ! うわ~!♪「ワーオ 東村山一丁目 ワーオ」♪「一丁目、 一丁目 ワオ」♪「ヒ!ガ!シ! ワオ村山一丁目 ワーオ」みっともねぇ!みっともねぇよ。 志村家の親戚で東村山で建設業を営む志村治男さんです。